こんにちは。
織田は信成派のヘキサです。
いつも当ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
あの泣き虫おもしろお兄さんの織田信成さんのご先祖様である、小学生でも知ってる戦国武将ランキング堂々の第1位(ヘキサ調べ)の織田信長についてもっと知りたいなぁとか思いませんか?
ちなみにヘキサは全く思いません。(あかんやん)
まあでも、日帰りで近畿圏で観光したい!とか、滋賀県に来たんだけど観光名所がよく分からん…って人にはオススメの場所だと思います。
したがって、今回はヘキサが安土城跡と滋賀県立安土城考古博物館などの周辺施設について行ってきたので、その感想などを書きます。
今回はヘキサが安土城考古博物館→信長の館→安土城跡という順番で巡ったので、その順番で記事を書きます。
「小学校で戦国武将として織田信長って名前を習ったよ、その程度だけど」って人から「織田信長について詳しく知りたい!」という歴史中級者、そして「城址を巡ることで興奮を覚えちゃうよ」というマニアックな癖をお持ちの方まで楽しめるスポットだと思います。
この記事を読んで分かること
安土城考古博物館
【基本情報】
開館時間:9時〜17時(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(月曜日が休日・祝日の場合は火曜日)、12月28日〜1月4日
利用料金(消費税改定前)
・通常料金:大人450円、高大生300円
・企画展開催中料金:大人500円、高大生300円
→小中生は無料
利用料金(消費税改定後)
・通常料金:大人500円、高大生320円
・企画展開催中料金:大人600円、高大生360円
→小中生は無料
安土城考古博物館までは車がオススメです。JR東海道本線安土駅から歩ける距離ではありますが、離れています。結構歩くこと覚悟かも。
安土駅にレンタサイクルがあるので、そちらを利用するのが賢明だと思います。
安土城考古博物館も安土城址も大きな駐車場が設定されていて、混雑時でもある程度の車の収容能力があります。
ヘキサは車で安土城考古博物館まで来ました。
他の車での旅行は別の記事で書いています。
田んぼの中に異様な建物がどーーん!と立っているので、目立つ場所だとは思います。ただ、田んぼの道が狭かったり、少し戸惑ったりする場合があるので、車で向かう場合は注意してくださいね。
駐車場に車を止めたら、異様に広いスペースを通り抜けてエントランスへ向かいます。
あれっ?ここってどこだっけ?
エントランスを入って右方向に進むと、チケット売り場があり、チケットを買うことができます。
ちなみに、入館料金は展覧会などによって変動するそうです。また、近くにある信長の館に行く場合は、セット券で買っちゃいましょう!
ということで、チケットを購入して、展示室に入ります。
展示室は入ったところにある中心の部屋から3方向に分かれており、2つの常設展示室と1つの企画展示室(開催スケジュールは博物館に問い合わせること)の合計3つの展示室があります。
その他に屋外展示物として旧宮地家住宅(重要文化財)などの建物、滋賀県文化財保護協会調査課が実施する出土遺物の整理作業を見れる回廊展示があります。
第一常設展示室は湖南遺跡や古墳を中心とした、縄文時代から古墳時代までの琵琶湖を中心とした展示を行っています。
第二常設展示室は観音寺城址と安土城跡を中心に日本の城郭の歴史と織田信長についての展示を行なっています。
第一常設展示室
展示室に入ったら、時計回りで縄文時代から古墳時代まで時代順に整理されて、滋賀県の遺跡で発掘された出土品とその解説がまとめられていました。
部屋に入ると、弥生時代に稲作をしていた人の様子を再現した人形がお出迎えをしてくれます。
縄文時代のゾーンは入口付近のショーケースにまとめて置いてありました。縄文時代はより古いから発掘されて展示されている品が少ないのはしょうがないですよね。ってか展示されてるだけすごい。
弥生時代はかなり展示物が充実していたので、その点はとても面白かったです。
弥生時代に使用された銅鐸。
シンオウ地方は特に思い出深いので、シンオウ地方のポケモンが大好きなヘキサ。全く関係ない。
銅鐸は祭りの道具として開発されました。昔は風鈴の要領で音を鳴らすものでしたが、なぜかデカイ物が開発され、巨大化し、音を鳴らすものではなく置いて崇めるものになったそうです。権威の象徴になったらしい。
マジで何でもかんでも巨大化すればいいってものじゃないって弥生時代の人間に言ってやりたい。当初の目的失ってるし。
そして銅製品の銅剣。
弥生時代の服を再現したものがありました。自由に着ていいそうです。脆い布なので気をつけて着ましょう。
てか、弥生時代の服の再現って聞いてたんですけど、布の端の部分に明らかにミシンで縫った形跡があります。弥生時代からミシンはあったのかぁ〜。文明やなぁ〜。(そんなわけない)
展示場の半分を超えた頃、リアルな人間の人形が目に入りました。夢に出てきそう。
王の服装がどのように変遷したのかということを表しています。4世紀の王はまだ農業感がありますが、5世紀は戦う武士のご先祖様のような雰囲気(?)ですね。6世紀はもうなんかイメージする王に近づいている権威の象徴になっている感じですね。王冠のような装飾品を被ってるし。
やっぱいつの時代でもでも権威の象徴としての装飾品がつく流れなんだな。
そして、時代が進み、古墳時代に突入していきます。滋賀県の遺跡から出土した埴輪が展示されていました。
埴輪っていろんなバリエーションがあっていいですよね。カワイイ感あるし。実際カワイイし。陶芸教室とかで自由に土を使えるなら一生土こねこねして埴輪つくりたい。
馬を連れてる人を発見しました。日本の馬なので、やっぱり競走馬に比べると小さめですよね。日本人は小柄とはいえ、こんなポニーみたいな馬にめっちゃ重い武具をつけた人を乗せなきゃいけないって馬にとっては結構な体罰感ありますよね。
馬の展示があるということは、馬につける馬具もあるということで、馬具の展示もありました。やっぱり馬の上に乗って快適に過ごすためには馬具は必要だし、当時からあったんだ!という感じですね。
馬具がわからない人向けの展示。馬めっちゃ道具つけられてる。きつそう…
競走馬を育成するゲームの話はこちら↓。シリーズもので、好評をいただいています。
銅よりも加工がしにくいけど丈夫な鉄を使い始めたということで、いよいよ文明らしくなってきました。鉄を加工するというのは人類の1つの大きな進歩ですよね。
古墳時代といえばやはり古墳ですよね。時代のタイトルにもなってるし。
滋賀県にある瓢箪山古墳の中の様子を再現して展示してあるレプリカです。
これらの写真は展示のほんの一部です。まだまだたくさんの展示とヘキサの文章の100倍わかりやすい文章で縄文時代から古墳時代の人々の生活について展示品と解説文でまとめられているので、とても興味深い展示です。
ってか、この辺は織田信長全く関係ないけど、すげー楽しめます。いいね!
第二常設展示室
展示室に入ったら、時計回りの順路で、観音寺城、小谷城、安土城の解説がありました。主にお城のミニチュアが置いてあり、その城の解説が文章や絵で展示されています。
ってか、展示室入ったらすぐに大迫力すぎる戦国時代の人たちが無礼にも槍をこちらに向けてお出迎えしてくれます。
人形も大きいので、実際に城に入るかのような感覚を体感することができます。城って俯瞰で見がちだけど、こういうレプリカでも戦国時代の自分の視点が再現されたら、なんとなく雰囲気がつかめてとても良いですよね!
城は政治の中心であり、本来は戦場の拠点です。
時代とともに戦場の拠点から政治の中心に移行していくというイメージです。このレプリカは城が戦の拠点として存在している時のイメージになりますね。
安土城では、戦の拠点としてももちろん機能する城ですが、楽市楽座として、経済の中心、商売の中心、文化の中心として機能していたことがわかります。
安土城下町から青磁が発掘されたこともあり、文化の中心として機能していることもわかりますね。
安土城の復元図やレプリカは著作権が発生しており写真NGとなっていました。これはしょうがないですが、安土城の全容が見たい方はぜひ安土城考古博物館に足を運んでください。
なんかウルトラハイパーざっくりと想像してもらうなら、いわゆる普通の城のイメージで大丈夫だと思います。
普通の城というか、一般的にイメージされるステレオタイプな城は、石垣があって、礎石が敷かれてて、天守閣の上には瓦(+シャチホコ)が乗っているみたいなイメージだと思います。
この石垣、礎石、瓦の3要素が揃った初めての城が安土城だとされています。その後に城を作る他の権力者(大名)が作る城の参考になったとされています。すごいね。
城のステレオタイプイメージの基礎を作ったのが織田信長なんですね。正確には織田信長の業績じゃないけど。
安土城址で発掘された瓦の展示がありました。
あっ間違えました…
こういう焼けた瓦とか壁土が出土されたということが、安土城が火災で焼失したという事実を裏付ける歴史的な物証になるので、本当に興味深いですよね。
瓦でできたしゃちほこの破片が出土したものですね。安土城にもでっかいしゃちほこが乗ってたんですね。しかも金箔が貼られてたなんて。なんて贅沢なしゃちほこなんでしょうか。
ということで、博物館の方で出土したしゃちほこの破片からおおよその大きさや形を推測し、再現したしゃちほこですね。
まじ可愛い。
こんな感じで、織田信長や安土城などの多くの展示品がありました。織田信長が楽市楽座を行なった根拠となる巻物もあるのですが、写真NGだったので、それはまじで博物館で見てみてください。これが楽市楽座の根拠か!って感動しますね。
ぜひみなさんも足を運んでみてください。本当これらの展示は全ての展示のほんの一部ですので、たくさんの展示物を博物館で見てみてください。
企画展示室
ヘキサが行ったときには塩津港遺跡発掘調査成果展が行われていました。
琵琶湖の北のほうにある、平安時代から鎌倉時代くらいのときに発達した塩津港という遺跡があります。そこが平成30年度まで発掘調査が行われていました。その発掘調査の成果としてどのようなものが出土し、どのようなことが分かったのかということが整理されていました。
ここの展示室は写真撮影がNGであったため、文章だけでお伝えします。
塩津港遺跡からは多くの木簡が出土していました。本来であれば木が朽ちて出土しにくいものなのですが、地面が水っぽい土地だった(琵琶湖のそばなので)ため、木簡が腐らずに出土しています。中には文字が読めるものもいくつかあり、当時はどのようなものが運搬されていたのかというのが分かる資料となっています。
その他にも塩津港遺跡から出土したものがたくさん展示されていましたが、写真が撮れなくて忘れてしまいました。てへぺろ。
旧柳原学校校舎
安土城考古博物館の屋外展示物の1つである旧柳原学校校舎(滋賀県の県指定文化財)を覗きに行きました。
この校舎は明治9年に滋賀県高島市に建てられた初等科小学校校舎であり、学校建築に洋風を取り入れたものとなっています。有名なものとしては、長野県に旧開智学校がありますね。規模は旧開智学校の方が大きいし、これを目当てにするなら正直長野県松本市に行った方がいい。
ヘキサが旧開智学校に行った記事はこちら↓。
まあ、とりあえず見つけたので中に入ってみることに。
節電のため、電気はセルフサービス。ある意味潔い。
入り口を入ると、昔ながらの校舎に展示品が置かれており、明治時代の小学校の様子がわかるようになっています。
畳敷きで雰囲気を残した場所もありました。ここは昔は職員室として使われていたそうで、雰囲気がありますね。
別の方向から校舎を撮ってみました。一階は洋風の作りですが、2階は和風の作りになっており、明治時代の建物の雰囲気があります。
旧柳原学校を後にして、信長の館に向かいました。
信長の館
安土城考古博物館と、安土城考古博物館の屋外展示物、信長の館はとても近い距離にあるので、歩いて移動することができます。ヘキサも歩いて信長の館へ行きました。
安土城天主の5階・6階として建設された部分が忠実に復元されています。1992年、スペイン・ゼビリア万国博覧会の日本館でメインで展示されていたものを復元し、さらに完成度が高いものにしています。
また、場内では、VR安土城シアターで「絢爛安土城」という15分のショートムービーが上映されています。
このムービーは、天正9年夏に安土城へ呼ばれたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、総棟梁を務めた岡部又右衛門に場内を案内され、信長の待つ天主へ向かうという内容です。ルイス・フロイスの視点から安土城を見ることができます。
場内の安土城天主、展示品は著作権のため、インターネット上へのアップが禁止されています。映像はもちろん録音や録画の禁止です。
そのため、様子が分かる写真を撮ることができませんでしたので、気になる方はぜひ足を運んでみてください!
今回はこの辺で安土城址に行きましたが、他にも安土城郭資料館が近くにあり、そこで観光してさらに予備知識を付けるということもいいですね。
ということで、安土城考古博物館の駐車場に戻って、車で安土城址へ向かいました。
安土城跡を登る!
【基本情報】
営業時間:9時〜17時
入場料:大人700円、高校生まで200円
安土城址に着いたら、近くの駐車場に車を止めて、歩いて受付に行きます。
受付で入場料を払い、パンフレットを受け取ります。
受付を済ませてみたら、めちゃくちゃ先の見えないくらい長い階段が目に入りました。
主要な通り道から脇にそれると、左には羽柴秀吉の屋敷だったとされる場所、右には前田利家の屋敷だったとされる場所がありました。さすが天下の織田信長様ですね!
メインルートを登ると、お寺の鐘が置いてありました。ここの鐘は自由に付いて言いそうなので、ヘキサも願いを込めて思いっきりついてきました。鐘の音が響き渡る安土城はいい雰囲気がありますよね。
ということで、ここから本気を出して安土山を登る覚悟を決めて登り始めました。さあ登るか。(←ようやくかよ)
疲れたなぁ…まだまだ続くのかな…(早い)
うわっ、まだまだ階段続くのか…
階段がめっちゃ続いて辛いですね。友達がいればこういうのも苦じゃないのですが、一人だとめっちゃ歩くの大変だなと思います。
テトとたくさん歩いた時の思い出はこちら。
登っていくと、石垣が見えました。そろそろ天主が近いのかな。ワクワクしますね。
ってまだまだ登るんか…先は長いなぁ…
階段を登って進んでいったら、本丸跡がありました。めっちゃ広い!さすが超巨大要塞の安土城ですね。本丸の規模もかなり大きいですね!その場にいないと伝わらないですが。
本丸跡までくればあとはもう少しです!長かったぁ…
ということで、本丸跡から天主閣跡に続く少しの階段を登れば…
ようやく天主閣にたどり着きました!!
長かったぁ〜!
やっと天主閣についたので、達成感と多幸感で脳内が幸せホルモンで満たされていますね!ちなみに太ももは乳酸で満たされています。
ということで、天主閣の裏に回って、安土山の頂上から見渡す、織田信長も眺めたであろう滋賀県の景色、天下を治めた雰囲気を味わおうではないか。
はぁー尊い!最高!
天気がめちゃんこよかったということもあり、もうどこを撮っても映えの景色で溢れてますね。最高。
ということで、頂上の景色も楽しんだので、ここからは下山です。
♫テレビとかブログあるある言いたい〜
♪あるある言いたい〜(←早よ言えや)
下山カットされがち
下山していたら、分岐がありました。来た時は下の写真の左側から来たのですが、帰る時は右方向に降りなければなりません。
帰路とは書いてるのですが、本当に受付に戻れるのでしょうか?少し不安になりましたが、とりあえず看板には従っておく必要があるので、看板に従いました。(ちなみに、ちゃんと戻れます。)
帰路を進んでいると、いい感じにひらけた場所がありました。すげーいい感じの写真スポット!
ひらけた場所には三重の塔がありました。そびえ立つ塔はなんかかっこいいものを感じますよね。
この三重の塔からひたすら下りが続きます。
風景としては歩いていてとても楽しいのですが、膝がガックンガックン笑い続けます。もうなんかNONSTYLEの漫才を見ている時のヘキサのように笑い続けているので、体にかかる負担がめちゃくちゃ大きいんだなと実感しました。痩せろまじで。
下りの道が終わると、今度はひたすら森の小径を抜けるフェイズに入りました。
このフェイズは景色は綺麗で空気は綺麗で大爆笑していた膝を休ませる道としてひたすらありがたかったのですが、前日に雨が降っていたのか地面が濡れていて、何度も転倒しかけました。体のバランス感覚が悪いヘキサだからというのもあるのでしょうが、やっぱり濡れている土の上を歩くのは大変だなぁと改めて痛感しました。
まじ一回ガチでこけて「痛感」しましたよ。
まさかの羽柴秀吉の屋敷だった場所に来るなんて!最初の伏線ここで回収するの?と思ったそこのあなた!当時のヘキサと全く同じ気持ちです。
ということで、羽柴秀吉の屋敷だった場所からメインルートに出て、その道を下って受付から外に出ました。無事下山ですね。
遠回り"したくなる"んじゃなくて、遠回り"させられてる"が正解だけどな。
下山したので、麓にあるお土産やさんによって、併設されているトイレで用を足し、安土城址を後にしました。「あと」だけに。つまんな。
おわりに
今回は安土城周辺を巡るルートを紹介しました。いかがだったでしょうか。
織田信長が安土城をどういう思いで建てて、安土城はどういうお城なのかということが分かりますね。
順番はどっちからでもいいと思いますが、博物館で知識や情報を仕入れて安土城に登ると、理解が深まりますよね。ここがそうだったのか!という知識を生の状態で入れることができるので。少なくとも教科書だけの学びには収まらない生きた学びができると考えています。
日本人だからこそ、日本で一番有名な武将の築いた跡を辿って学ぶことをしてみてもいいんじゃないでしょうか。
それこそ、すごく分かりやすい説明と実際のお城の址があるので、すごくいい学びになると思います!おすすめです!
ぜひみなさんも安土城に遊びに行ってはいかがでしょうか。
ヘキサは他にも旅行に行きたいですね。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
(ヘキサ)
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