こんにちは。
ライブに行く前はすごく気持ちが高ぶって、ライブが終わると喪失感の強い賢者タイムに入るヘキサです。
(違う……それめっちゃ陽気なやつやん……)
いつも当ブログの記事を読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、なぜヘキサはライブに行くのか、また、ライブに行く価値は何なのかというのを、ヘキサの個人的見解にあふれた主観で述べます。
重なる部分、違う部分があるとは思いますが、この記事を読みながら、あなたの「なぜライブに行くのか?」という問いの答えと照らし合わせながら読んでくださると幸いです。
そもそも
音楽のライブと一口に言いますが、今回はクラシックやジャズのコンサートではありません。この記事ではポップスやロックなどに見られるライブのことを指します。
規模はライブハウスくらいの大きさからスタジアム・ドーム規模まで様々あると思いますが、ヘキサはアリーナ・スタジアム・ドーム規模の方が多いなぁというイメージです。
参考までに東京ドームです。ヘキサは1回も行ったことがありません。ポルノグラフィティの東京ドーム公演(ないとは思うけど)待ってます。
もちろん、ライブハウスのライブにも何回か足を運んでいますので、それも少しは加味していますが。基本はアリーナ・スタジアム・ドームとかそのような大きなハコで行われるライブを想定しています。
ライブハウスのことについてはペンタが後日別の記事で記してくれることでしょう。(適当)(無茶振り)
コストパフォーマンス
ライブに行くといっても共通して出費がかかります。
ライブハウス規模でおよそ2000円から、ドームとかスタジアムとかになって有名なアーティストになれば8000円とか10000円とかかかってきます。
テトが昔行ったと言っていたポールマッカートニーのライブはチケット代だけで20000円くらいだったっけな?話を聞く限りではめっちゃ高かった印象……
(後で調べたら、2013年に行われた「Out There! Japan」の東京ドームで開催のライブで、S席16500円でした。それでもたけぇ……)
またそれに物販でCDや特性グッズなどを買ったり、食べ物や飲み物を買ったりすると余計に出費がかさみますよね。
参考画像はたまたまみもりんのライブのやつがあったので。謎。
まあ、ライブに行くとつい物販でなんか買っちゃいますよね。ヘキサはポルノグラフィティの影響でよくハンドタオルを買います。「ハネウマライダー」とかで回すために。
アルバイトを8時間続けても8000円程度しか手に入らないご時世に、これだけ多額のお金を1日のうちの数時間で使うというのは、金銭的に見ればもったいないというか、コストパフォーマンスの悪い状態に思えます。
っていうか、1日に8時間もアルバイトできないよな(冷静)。
1日3時間とか4時間で週n回というのが大学生のアルバイト事情な気がする……
しかも会場まで交通費をかけてわざわざ行き、さらに大勢の人が集まるという場合には混雑も予想されます。
非常に疲れるし、コストパフォーマンスも悪く、余計にストレスをかけているようにも思えます。
なのになぜヘキサは何度もライブに足を運ぶのでしょうか?それには主に3つの主張というか、ヘキサにとっての価値があるからです。
A存在の証明
(章タイトルが圧倒的アジカン臭)
まず、ヘキサはライブに行くことで、誰かと会うということを楽しみにしています。
例えば、ライブハウスであれば友人や知人が演奏しているとか、大きな会場であれば憧れている芸能人をお目にかかれる(ステージとの距離はすごく遠いけど)ということが挙げられます。
ポルノ兄さん…!イケメン!!
特に芸能人であれば、本当にこの人は実在するのか?とか空想上の生物や企業が作り出したアバターではないのか?とか(謎に)勘ぐってしまうのですが、ライブに行き、その芸能人を見ることで、その人が実在していることが証明できます。
もっと深く考えると、そこにいるからといって存在が証明できるとは限らないし、そもそも自分の存在さえ証明できないのに他人の存在を証明できるのか?とか、そういう哲学的な部分に至ってしまうことは時々あるのですが、今回はそのことを考えるとややこしくなるのでスルーします。
見る→存在の証明と短絡的に考えましょう。精神が安定します。
アンテイ…コレ…ダイジ……
ちなみに、例外がこちら↓になります。
こやつは見えたところで存在の証明にならないという厄介な現代文明の結晶ですね。こやつこそが空想上の生物で企業の作り出したアバターです。この章の記述に関して、こやつのことはそっと目をつむっていただけると幸いです。
B相互行為
存在の証明ができたからといっても、存在の証明はあくまで過去の自分に対する不安の取り除きに過ぎません。
なぜならば、見るだけなら1秒でも完結するからです。
ライブは、2時間とか3時間とかそれなりの時間をライブの出演者であるアーティストと一緒に時間を共有できるのです。
その時間を存在の証明だけにするのは非常にもったいないですよね。
したがって、その時間を使って楽しもうよ(もちろんルール・マナーと礼節は守って)というのがヘキサのモットーです。
その楽しみの1つとして相互行為が挙げられます。
相互行為というのは、出演するアーティストや他の観客、係員などライブという時間を共有している人と自分の間に起こる行為の総称です。ざっくりしていますね。だって細かく言ったらいろんなことがライブにはあるのですから。
例えば、アーティストと自分とであれば、歌う歌に手拍子やコールなどを入れる、サイリウムを振る、アーティストのコールにレスポンスする、拍手するなどが挙げられます。
前にいきものがかりのライブに行った時にヘキサが手を振ったら水野良樹さんが手を振り返してくれたのはいい思い出ですね。これも立派な相互行為です。
この行為はつまりアーティストと自分という2者が必要な行為です。
1人で自宅でやってもただの不審者ですからね。
細かい部分だと、アーティストと同じ空気を吸ってるという表現はこの部分に当てはまると思います。少し極論ですけど。
なぜここまで相互行為にこだわるのかというと、相互行為というのは、自分を他者を通じて認知することに繋がるからです。
自分というのは、自分の中にあるのではなく、他者との相互行為によって他者との差が発生し、それが自分となるからです。
自分を自分1人では認知できず、誰かを介してしか自分を眺めることはできないのです。
ライブにてそのアーティストと自分との相互行為が発生することにより、そのアーティストと自分との差が発生して、今まで知ることのできなかった自分を認知することができるかもしれないのです。
自分とは誰であるか?
つまり自分のアイデンティティを突き詰めて自己実現を果たし、充実した人生を楽しむためには様々な人との相互行為は必要であり、自分のアイデンティティの一部を探すための一環としてライブに行くのです。
だから、ライブに出演するアーティストとの相互行為も大事で、ライブにいる人との相互行為も大事です。
いろんな人とも関われるというのが多くの人が集まるライブの魅力でもあります。
コール&レスポンスとかはアーティストと観客が直接的に関わることができるツールとしてイメージしやすいですね。ヘキサは大好きです。必死に叫びます。
そういう意味で、ライブでのコールであったり手拍子であったり拍手であったりというのは、アーティストと観客と自分が同時に関わることのできるツールとして非常に優秀で大切なものだと考えています。
C芸術(音楽を含む)を楽しむ
ここに来てっ!って感じの遅さでトリにして当たり前ですね。
この記事の下手くそな構成からお察しできると思いますが、ヘキサは苺のショートケーキの上に乗っている苺は最後に食べる派です。つまり、大切なものは最後にとっておくタイプです。
これはライブに行く最大の価値ですね。ライブというのは芸術の活動ですからね。
ライブで行われる芸術というのは、ヘキサは2つあると考えています。
1つ目はアーティストのステージパフォーマンス。2つ目は観客のコールです。
ステージパフォーマンス
これは説明不要だと思いますが、一応念のため語ります。
ステージ上で行われる行為全てです。
楽器の演奏、歌唱、ダンス、MCでのトーク、映像などなど。
ステージ上でケーキが登場し誕生日パーティが行われよう(様々なアーティストでよくある)と、出演者のモノマネをした人が登場してコントを行おう(THE ALFEEのライブでTHE ALFEEに扮したダチョウ倶楽部さんが登場した)と、冷蔵庫が誕生日プレゼントとして登場したがコンセントが刺さっておらず機能紹介ができないこと(いきものがかりのライブで家電好きな山下さんのために吉岡さんが冷蔵庫を購入し、ライブでプレゼントした)でさえも、ステージ上でライブ開始からライブ終了までの間に行われる全ての行為は芸術です。
なぜならば、ライブというのは時間芸術であり、時間の変化によって起こることは全て芸術と捉えるのが自然であるからです。極論、時間までもが芸術なのです。
ステージはそれぞれのアーティストがやりたいことや伝えたいことなどを表現する場です。
特にメジャーなJ-POPだと、よくステージや演目を作り込む傾向があり、観客を楽しませる工夫が詰まっています。
そして、時間の経過により移り変わるステージの全てを観客は楽しむ権利があり(もちろん他の観客の迷惑とならない範囲で)、できるなら1秒でも多く楽しみたいというのがヘキサのライブのステージに関する基本的な考え方です。
コール(観客の動き)
普通はステージ上のことだけが芸術だと捉えられがちですが、ヘキサはそうは思いません。
観客が一体となって1つの行動をしていることも芸術ではないかと考えています。
例えば、手拍子、コール、レスポンス、拍手などなど観客が揃って行う行為です。
もちろん観客の行為自体が芸術になるわけではありません。
簡単ではありますが、観客の行為は迷惑行為と芸術的な行為で数直線上の2項対立になると考えています。
簡単で見づらい図ですみません……
どこまでが迷惑行為でどこまでが芸術的な行為であるのかという境界は人によってそれぞれ違うと思いますし、それによってライブ中にどこまで許容できるかが変わってきます。
その点についてヘキサはヘキサの感覚として、観客が一体となって(およそ7割以上?くらい?が同じ行為をしている)、音楽やステージパフォーマンスの邪魔をしていないというのが個人的な迷惑行為と芸術的な行為の境目だと思っています。
だいたい半分くらいの観客がまばらにコールしている状態は不調和という観点から迷惑行為に思えます。
ここで議論となるのは「イエッタイガー」です。
たしかに7割以上の観客が同時に「イエッタイガー」を行なったら、それは調和という観点から芸術になりうるかもしれませんが、ヘキサはそう考えてはいません。
「イエッタイガー」はサビ入り前の空白の時間にコールするものなので、サビ入り前の空白の時間を邪魔していると思います。
空白・休符というのは音楽の一部ですから。何もならないという音を楽しむのが休符です。
「イエッタイガー」はその休符を邪魔しているのです。
リズムに合わせて手を動かす、サイリウムを振る、曲のテンポや曲調に合わせてクラップ又は掛け声をする、PPPHのオーイング(名前のコールも含む)、又はそれらの転換や入れ替わりが揃っているという行為は芸術になります。
何百人何千人何万人という人が同じ行為を行うことで揃うというのは、日常生活ではあり得ない非日常的な感覚なので、感動を覚えます。
もちろん、曲とずれたことを行なっていたり、テンポや曲調を無視したものは曲の邪魔をした迷惑行為だと考えています。
曲を聴く、聴かない以前に、曲のテンポや拍子はコールを行う上で感覚でチェックする必要がありますね。
おわりに
今回はヘキサがなぜライブに行くのかについて語りました。
ライブというもの自体は3時間とかその程度ですが、それにおよそ10000円の価値を払う、むしろそれ以上の感覚的な利益というか、ヘキサにとっての有益性があるということを紹介しました。
この考えはあくまでヘキサの個人的な感覚であり考えなので、異論反論があるというのは当たり前だと考えています。
この記事をきっかけに、あなたはなぜライブに行くのか、もしくはライブになんて絶対行かないと思う理由を考えてみるというのはいかがでしょうか?
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
(ヘキサ)
過去のヘキサのライブレポはこちら。
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