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テト・ペンタ・ヘキサの3人組によるゆるふわ系ブログ

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心に余裕を持って遠回りすることの大切さを教えてくれる『笑って!小屋作り』

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こんにちは!

 

心の余裕はないのに、なぜかテスト前の休み時間だけ余裕がある気持ちになるヘキサです。

 

今回は、ヘキサが読んだ中山茂大著『笑って!小屋作り〜50万円でできる!?セルフビルド顛末記〜』という本がとても面白かったので、感想を書いたり、この本を読んで考えたことを書いたりしてみようかなって思います。

 

笑って! 小屋作り~50万円でできる! ?セルフビルド顛末記~

笑って! 小屋作り~50万円でできる! ?セルフビルド顛末記~

 

 

ヘキサはブックレビュー記事は初めてなんですけど、前にペンタがブックレビューをしていたので、それに憧れたって説は大いにあります。

 

ペンタが書いたブックレビュー>>>>「伊藤計劃の『ハーモニー』を読んでとんでもない衝撃を受けた - テトたちのにっきちょう

 

 

 

あらすじ

帰ってきたお騒がせコンビ、人力社の中山茂大・阪口克が、『古民家再生』に続いて「おしゃれなアネックスを作ろう! 」と再び立ち上がった!

古民家再生した母屋の裏手に、今回も超低予算の「50万円」で、
材料調達はもちろん、土地整備、コンクリート基礎、設計、内装まですべて自前で完成するまでの全プロセスを、
詳細な写真付きで収録。

前回以上にパワーアップ&スキルアップした二人が、
数々の失敗にもめげずに、くじけず、前向きに(ときどき悪態をつきながら…)
ついに「夢の小屋」を完成させる姿を見れば、きっとあなたも自前で小屋を作りたくなる!

 Amazonより引用。

 

人力車コンビが小屋作りをしている様子を詳細な写真を用いて紹介している本です。基本的には中山氏、阪口氏、水野氏の3人が会話していることを文章に起こす形式で内容が進行していきます。文章は平易でとても読みやすくギャグなどもあり写真も多くカラーの部分も多いので、本を普段読まない人も手軽に読むことができます。

 

 

 心に余裕を持つ方法としての小屋作り

 

この本は、心に余裕を持つ方法論としての小屋作りを紹介している本だとヘキサは考えます。

 

心に余裕を持つというのは都会に住んでいると難しく感じます。都会は企業に在籍するということで時間には管理され、周囲の人たちに気を使うという点で音や空間には制限され、都会の中で余裕を持って生活している人というのはほんの一握りだと考えられます。

 

都会に住んでいれば無理をしても都会に適応する必要がありますよね。時間が管理され、空間が制限されるような適応はもはや学校化ともいえましょう。都会という社会の学校化が著しく進んでおり、その狭っ苦しさや息苦しさを抱えている人は少なくないでしょう。ヘキサもその一人です。偉そうなことは言えませんが。

 

つまり、時間的制約や空間的制約が少なくなればそういう人たちの息苦しさは軽減します。そのために田舎で生活し、時間を忘れるまで没頭するという経験が求められるのかもしれないですね。

 

時間的制約や空間的制約がある程度解放された状態であれば、どのように過ごすべきかを考える必要があります。

時間は余っている

空間は余っている

でもお金は少ししかないという状態です。

 

都会に住んでいれば、ビルが立ち並んでいて、家もたくさんあって、当たり前のように雨風をしのいで自身のパーソナルな空間を守ることもできる家というものが立ち並んでいます。多くの人にとってみれば、家はお金を払ってプロに任せるものです。自分で作るのは相当の専門的知識や根気が必要になると直感的には分かっています。

 

では、せっかく田舎にいて時間的制約や空間的制約が少ない状態であれば、実際に家を作ってみるというのはどうでしょうか。実際に作ってみることで何か得られるものはないでしょうか?

 

そうは考えても、なかなか実際に踏み出すことのできる人は少ないでしょう。

 

しかし、それを実際に行ったのが中山茂大と阪口克の人力社コンビ(以下:人力社)です。

 

彼らは奥多摩に古民家を購入し、その古民家を自分たちの手で改装するという男のロマンあふれる作業をやってのけました。

 

今回紹介する本はその第2弾であり、奥多摩の古民家の隣のスペースに実際に小屋を自分たちの手で建てたというエピソードをまとめた本です。

 

ちなみに第1弾の本はこちら。

笑って! 古民家再生 失敗したけど、どうにかなった! ?

笑って! 古民家再生 失敗したけど、どうにかなった! ?

 

 

この本の中核は決して小屋の作り方をプロが紹介し、参考にするという類のハウツー本ではありません。

 

中山氏や阪口氏は決してプロではなく素人のDIYおじさんです。

 

小屋自体も素人目にみれば完成度は高く見えるのですが、プロからすればまだまだお客さんに出せるクオリティではないとのこと。建物は少し傾いていたり、窓のサッシをはめようとしたらデコボコになっていたり、買ってきたドアのサイズが合わなかったりとハプニングが多く、むしろハプニングが主体になってこの作品のストーリーを進めています。

 

しかし、そのハプニングが起こり、それを笑いながら様々なアイデアで解決した……と思ったらその解決方法が次のハプニングを呼んでそれに四苦八苦し……という姿をとてもユーモラスに描いています。

 

主に文を書いている中山氏のおおらかで大雑把な性格とそれを楽しんでいる阪口氏、経験が浅いけどズバズバ物を言う担当編集の水野氏の3人の掛け合いが物語を進めているノンフィクションの小説という表現の方が適切でしょう。

 

素人だからこそ事件は起こるし失敗もしますが、それも全部受け入れて面白おかしくネタにするというのは読んでいて痛快に感じる時があります。

 

ヘキサも小学生の時の図工や中学生の時の技術の時間で自分で測ったはずの寸法が組み合わせてみたら間違えいたという経験は少なからず存在します。小屋を作るという目標自体は非常に壮大で、到底素人がなせる業だとは思わないが、1つ1つ細かい作業を文章で読んだり写真で見たりすると、ヘキサが経験したことのある既視感がある作業ばかりです。やっている作業はヘキサが小学生や中学生の時に体験した図工や技術の時間での作業と似ているし、人力社の失敗は自分がやったことのある失敗に似ているのでとても親近感が湧きます。

 

学校の場合は授業時間数という制約や教師が成績をつけるという性質上、失敗のせいで作業の進捗が遅くなれば先生に怒られるし、スピードアップを求められたり、作りがより簡素で効率的になるように方向転換をさせられたりします。また、成績をつけるということは、失敗の影響から生半可な作品を提出すれば生半可な成績で、自身の評価を大きく下げてしまう自体になるので失敗しないように慎重に作業することが求められてしまいます。(実際の図工や技術では失敗したからといって成績を下げられるようなことはないですが、ヘキサは子どもながらにそういうある種のプレッシャーを感じていました。)

 

しかし、人力社はそうではありません

学校という時間的制約にも先生というプレッシャーをかける存在にも影響されない。影響されないからこそ、自分で到達目標を定めることができる。したがって、男のロマンを求めるための努力は惜しまないし、失敗しても笑ってやり直すこともできます。

(もちろん失敗によって中山氏と阪口氏が喧嘩する場面もあるが、それも物語の1つのアクセントとして親近感を持って読むことができます。)(もちろん、中山氏と阪口氏には予算という制約が発生していることを忘れてはならないですね。)

 

そんな自分のこだわりを時間をかけて表現する場としての小屋があり、その小屋を子ども心を持って秘密基地を作るという大人の本気が滲み出ており、大人の本気を発揮して小屋を作っている人力社を見ているとそれがとてもかっこよく、また羨ましく思います。

 

 

時間を忘れて没頭する価値

 

ヘキサは夢中になって時間を忘れて何かに没頭するという経験は本当に無いと感じます。

 

ヘキサのこれまでを振り返れば、いつもどこかで時間に追われていました。また時間によって引き裂かれました。学校は時間が決まっているし、学校の中では1時間という単位で次から次へと目まぐるしくやることは変化するし、たとえ休日といえどもゲームばかりしていたら怒られるし、家族との時間もあるし、自分が自由に使える時間を捻出しても、没頭するには時間が足りないです。大学生とはいえ授業はあるし、バイトもあるし、やらなきゃいけないこともたくさんあります。親や社会といった手厚い支援やレールのもと、時間の無駄遣いという行為はさせられないように仕組まれているのかもしれません。

 

このまま社会に出たらもっと時間が制約されるし、ますます自分のための時間や無駄な時間というのは削らされる方向にあるのでしょう。その中で時間をかなり無駄遣いしたという経験がないのは非常にまずいことではないかと危惧しています。

 

時間の無駄遣いがないということは、自分で時間を管理する能力がないということだとヘキサは考えます。いい例えではないのかもしれないが、お酒は一回記憶を飛ばして限界を知った人の方が上手にお酒と付き合うことができるという話と同じことだと考えています。お酒を飲んで記憶を飛ばすという行為は一見すると良い行為ではありませんが、その経験があるからこそ、自分の受け付けられるアルコールのキャパシティの限界を知ることができます。その経験によって、そうならないように自制することができれば、お酒とは上手に付き合うことができます。

 

この考え方を時間の使い方に当てはめてみましょう。自分の好きなことに没頭することまた何もしないという時間など、自分の好きなように時間を使って、時間を空費したり浪費したりすることで、時間の使い方について経験することができ、その経験をもとに時間の管理の方法を覚えていくため、時間の使い方が上手になるというロジックです。

 

この本のような自分の興味関心を時間をかけて突き詰めるという行為がヘキサは不足しているからこそ、何か時間の使い方のイメージが苦手で、何か時間に終われるような感覚から心の余裕を失っていくのではないかと考えられますね。

 

もちろん、この本は雑誌(『田舎暮らしの本』、宝島社)の連載をまとめた本であるため、人力社はこの雑誌の原稿を書く締め切りという時間で管理されていたことが推測できます。また人力社は同時期に他の仕事もあっただろうと推測できるので、時間に追われていないという表現には誤解があります。本では自由であるように振舞っているが、実際は多忙なスケジュールがあったのかもしれません。

 

ただ、このように時間を忘れて小屋を作って、大人の本気を見せているということができるのも、人力社が時間と上手に付き合っているからだと考えることもできます。

 

このように、時間を忘れる経験をすることで、時間と上手な付き合いができるようになるということこの本は教えてくれているのかもしれませんね。

 

 

遠回りの大切さ

 

また、この本の価値がある部分としては、遠回りの大切さが挙げられます。

 

家を建てるということはプロに任せれば、お金はかかりますが数週間から数ヶ月あれば家を建てることができます。またクオリティも高く、状況によっては自分の要望を実現することもできます。しかし、それでは見えない部分が多いです。どうやって家は作られているのか、どれくらい危険で大変なことなのか、どういう苦労やこだわりポイントがあるのか。これらは自分で作って体感してみないとわかりません

 

また実際に作ることによって愛着も生まれるし、プロの仕事に対する情熱の一端を理解することもできるし、自分でこだわった部分や満足できた部分も生まれます。こういう経験は役に立たないと反論する人も一定数います。

 

しかし、この部分こそが人間が学ぶべき価値であると私は考えています。自分の感覚で作り上げることで、肌で作った感覚を感じることができます。その感覚を持っていれば、他の似たような境遇の人に共感することができます。「大変だった」という言葉は1つですが、その中に内包されている大変さは十人十色です。

 

またその人たちがどういう経験をしてきたかによって大変さは異なってきます。言葉は抽象的であり、抽象的な「大変だった」にはその大変さが内包されているとは限りません。小屋づくりを経験することによって、建物を建てる人の大変さを少しは理解することができ、共感することができます。それによって、寛容さが生まれます。この経験から生まれる寛容さが人間味であると私は考えています。

 

つまり、人間味を生むためには経験することが必要だと考えます。この経験は遠回りによって生まれると思っています。

 

遠回りというのは必ずしも何かを作ってみただけではないと思います。

 

余談ではありますが、学校の勉強も遠回りの一種です。学校で習う勉強のほとんどは大人になったら忘れるし、忘れても問題なく生きていけるくらい影響がありません。影響がないからこそ、勉強に価値がないというのは早計です。勉強をするという遠回りがあるからこそ、そこで学ぶブロセスを通じて、その勉強する1つ1つの行為が人間味を生むと考えています。

 

孔子は精神を本学とし、知識を学ぶ勉強を末学と設定し、末学を通じて本学を学ぶのだと説来ました。ヘキサはこの考え方に似ているので、ヘキサの人間味の感覚を孔子の例えに便乗して図示してみました。

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本学と末学のイメージ

この本学である人間味を学ぶために学校では勉強を教えるのだと考えています。

 

遠回りで思い出したのですが、遠回りをすることで運命が変わっていたかもしれないという解釈ができる乃木坂46の「帰り道は遠回りしたくなる」という曲の詞もそのような考えによって成り立っているのでないかと私は勝手に解釈しました。

帰り道は遠回りしたくなる

帰り道は遠回りしたくなる

  • provided courtesy of iTunes

 

遠回りは決して無駄ではないし無意味でもない、遠回りは悪ではない、むしろ遠回りには遠回りの価値があるという考えは大切な価値観であると伝えているように解釈できますね。

 

もちろん、この本には遠回りこそ価値があるとストレートに書いているわけではないです。ただし、この本を読むことによって小屋作りをしている中山氏らに憧れるのは必至であり、自力で小屋を作りたくなります。

 

つまりそれは、小屋をわざわざ作るという遠回りの価値が直感的に理解できるということです。この本は小屋作りという作業の物語を通して間接的に遠回りの価値についてヘキサに考えさせました。

 

 

 

おわりに

 

今回は中山茂大「笑って!小屋作り」を読んで考えたことについて雑多にまとめてみました。

 

まとめてみたっていうか考えがまとまってない部分の方が多くて自分でもびっくりするくらいヘタクソなのですが、少しでもこの記事を見た人がこの本に興味を持ってくれたら嬉しく思います。また読んだ人がいたらぜひ感想をお聞かせくださると嬉しいです。

 

笑って! 小屋作り~50万円でできる! ?セルフビルド顛末記~

笑って! 小屋作り~50万円でできる! ?セルフビルド顛末記~

 

 

 

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

 

(ヘキサ)