おはようございます。ペンタです。
突然ですが、みなさんはヒップホップ、特にラップについてどんなイメージを持っていますか?
ぼくの認識としては怖そうなお兄さんがめっちゃ早口で喋ってる、という程度のもので、ラップが嫌いというわけでもありませんがあまり好きではないです。
そんなぼくが愛聴している唯一のラッパーが不可思議/wonderboyというポエトリー・リーディングのアーティストです。
この記事では、ぼくが愛してやまない不可思議/wonderboyというひとりのポエトリー・ラッパーを紹介します。
ポエトリー・リーディングについて
ここしばらく、フリースタイルダンジョンというテレビ番組が人気を博しているのはご存知かと思います。
番組のテーマとなっているフリースタイルラップでは、ラップの基礎とも言えるライミング(押韻)に加えてその即興性や相手への攻撃的な歌詞、いわゆるディスの要素などが評価の対象になります。
このように、フリースタイルやラップバトルと呼ばれるものは戦う相手がいてその相手を倒すためにラップをするという、いわばスポーツ的な側面が強いものです。
必然的に、自分が本当に伝えたい思いや考えを吐き出すよりもいかに面白おかしく即興でラップができるかに重きが置かれます。
そのようなラップバトル、ラップスタイル全盛ともいえる現在ですが、それと対極に位置するようなラップの在り方としてポエトリー・リーディングというものがあります。
戦争に対して自然主義や平和を基礎にしたヒッピーが流行したり、ロックに対してパンクが現れたりしたように、文化にはカウンターカルチャーと呼ばれる別の流れが生じることが多くあります。
そしてこれからの日本語ラップを考えると、ラップバトルのようなラップスタイルへのカウンターとして、ラップミュージックとしてのポエトリー・リーディングが台頭すると考えられます。
即興性、押韻、ディスなどを重視するフリースタイルラップに対して、ポエトリー・リーディングはそれらの要素を必須としません。
トラックに乗せて自分の詩を朗読する、というのが多く取られるスタイルです。
ラップのジャンルのひとつとしても扱われるものであるため韻を踏むことも少なくないですが、それはあくまで表現技法のひとつとしてであり、他のラップに比べると押韻に重きをおいてはいません。
自分の詩やそのもととなった心情を届けることが、ポエトリー・リーディングでは最も重視されるものです。
ディスを大きな要素としたフリースタイルラップが飽和してからは、言葉を相手を倒すための道具ではなく、自分の心の奥底にある思いを伝えるためのものとして扱うポエトリー・リーディングが、これからの日本語ラップの中で大きな存在になっていくのではないかと思います。
不可思議/wonderboyが紡ぐ言葉
前書きでこれからのラップミュージック、みたいに書いてしまいましたが、不可思議/wonderboyというアーティストは既に亡くなってしまっています。
そのため、正しくは「これからのラップ」には成り得ませんが、現在も支持を集める人物であること、そして何より僕が大好きだから紹介させてもらいます。
不可思議/wonderboyが活動していたのは、2009年から2011年までの2年ほどで、生前に発売したアルバムはわずか1枚です。
2011年の6月に、事故によって24歳という若さで急逝してしまいました。
ぼくが不可思議/wonderboyの存在を知ったのは2016年の夏です。
あるライブを観に行ったとき、出演していたアーティストのひとりが彼の楽曲をカバーしているのを聴き、その歌詞のあまりの美しさに家に帰ってから速攻で調べてCDを買って聴き込みました。
リアルタイムでその存在に触れることができなかったのが悔やまれます。
これがその時の曲です。
宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』をタイトルに冠した楽曲ですね。
銀河鉄道というものが建設を進められている近未来で、恋人を残してひとり銀河鉄道のレールを作る仕事に発った男と、地球でその帰りを待つ女のそれぞれの視点から歌詞が成り立っています。
敢えて歌詞を載せたり引用したりということはしませんが、言葉の一つ一つが美しすぎませんか?
今よりも先の未来であり、宇宙に銀河鉄道をつくるという進んだ世界を舞台としたものでありながら、そこでは当たり前の幸せを求めている。
どれだけ時代が変わり、文明がすすんでも、人間として根底に感じる幸福というものが変わることはないのではないか、そんなふうに思わされます。
こちらの『生きる』の歌詞は、詩人、谷川俊太郎の詩を原作として不可思議/wonderboyが加筆・編集したものです。
谷川俊太郎自身から詩の使用を公認されているとのこと。
この曲も、やっぱりすべての言葉が素晴らしいです。
普遍的に美しいものを追い求めることこそが生きるということなのだと信じたくなります。
彼の詩は、生きるということや人生について書かれたものが多いです。
【路上LIVE】「Pellicule」by 不可思議/wonderboy
この『Pellicule』という楽曲もそのようなもののひとつです。
彼が語る人生というのは、決して華やかなものではありません。
ラッパーとして食べていくこともできず、未だにくすぶっているような自分自身と向き合い、まさにありのまま、非常に生々しい言葉を綴っています。
変に飾り立てた言葉ではないからこそ、響くものがあるのだと思います。
正直、個人的に不可思議/wonderboyは特別に声質が良いわけでもなく、ラッパーとしてのうまさが際立っているわけでもないと感じます。
しかし、それらのことが気にならないくらい、なんならそれを補って余りあるくらいに心に突き刺さってくるものがあります。
ブルーハーツの甲本ヒロトと近いものを感じるのはぼくだけでしょうか。
彼の声に訴えかけるものがあるのは、やはり彼のなかで伝えたい事が明確になっていて、本気で言葉と向き合っていたその姿勢が伝わってくるためではないでしょうか。
おわりに
今回の記事の前半部分は、以前に大学の講義で書いたレポートを半ば流用したものなので、普段よりも真面目な感じになってしまいましたね。
不可思議/wonderboyが現在も多くのアーティストから支持を集める理由のひとつに、彼が既に亡くなっている事によって神格化されているというものがあると思います。
24歳という若さで不慮の事故によって急逝したラッパー、そんな肩書きのフィルターを通して評価されている部分が少なくないと感じます。
亡くなってから、そのことをきっかけとして人気が高まるというのも皮肉な話です。
そのことを良いとか悪いとか言うつもりはありませんが、彼が亡くなっていることを抜きにしても僕は彼の紡ぐ言葉が大好きです。
芸能人が亡くなったり、バンドが解散・活動休止したりすると「彼らのことが好きだった」、「すごく才能があったのに」などという事を言う人達をよく見かけます(主にSNSにおいて)。
そういう人は、そのバンドが活動をしていたときに彼らを評価して周囲に発信していたのだろうか、と考えてしまいます。
活動を続けている時点でそういった情報を発信する人が多くいれば、そのバンドの結末は変わっていたのではないでしょうか。
多くの人にそのバンドの存在を知らせることができれば、解散したりせずに済んだのではないか。
彼らにもっと素晴らしい光景を見させることができたのではないだろうか。
所詮は机上の空論です。
結果が変わっていなかった可能性だって大いにあります。
それでも、亡くなったり解散したりしてから悔やむだけよりは、よっぽど建設的な考えではないでしょうか。
不可思議/wonderboyだって、多くの人が生前にその実力を評価していれば彼の野望をもう少し達成できていたのかもしれません。
彼が売れることをひたすらに望んでいたことは彼のブログなどから読み取れるだけに、余計にそう考えてしまいます。
彼の死後にその存在を知った自分が言っても全く説得力がありませんが…。
これだけSNSやブログなどの環境が整っている現代において、自分が本当に良いと思ったものはどんどん発信していくべきだと思います。
それが良い結果に結びつくかどうかはわかりませんが、少なくともなにもしないでいるよりも悪い方向に向かうことはないはずです。
ぼくがこのブログで度々音楽の紹介をしているのには、多少なりともそんな思いがあったりします。
いつも以上にとりとめのない、とっ散らかった内容となってしまいましたがお読みいただきありがとうございました。
ポエトリーリーディングが気になる方は、不可思議/wonderboyの他にはMOROHAや狐火なんかが有名どころだと思います。
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