こんにちは。テトです。
先日、東京でも1回目の緊急事態宣言が解除されましたが、ライブなどの音楽イベントが今まで通り行われるようになるのはまだまだ先のことになりそうですね。
今回はそんな、"ライブ"に関する記事です。
なぜ今、そんなことを書くのか?
実は、ヘキサのこの記事がきっかけになっていたりします。
約2年前の記事ですね。もはや懐かしさすら感じる。
実は、この記事が公開されて私が読んだとき「この"テトの考えVer."を書きたい!」と思ってメモ帳にプロットを書いていたんですよ。
ですが、結局最後まで書き切ることはなく、いつの間にかメモ帳の奥底に隠れてしまっていました。
最近それを見つけて「そんな時代もあったね」と思い、「いつか記事にできる日がくるわ」とまで思ったのかはさておき、
と思ったので、書いてみます。
テトのライブ事情
……と、なぜライブに行くのかを語り出す前に、私テトのライブ事情について紹介をば(隙あらば自分語り)
私がライブ・コンサートに行く頻度はそんなに高くなく、好きなアーティストがライブを開催したら観に行くという至って普通の、ちょっと音楽が好きな一般人と同じような感じです。直近のライブ参戦歴は米津玄師の"HYPE"です。
その他に、知人のバンドがライブハウスでライブする時に観に行ったりもします。いわゆる"GIG"(ギグ)ってやつですね。また、ライブとはまた違いますが、クラブへ行きDJを聴きに行ったりもします。
それから、ここ数年ご無沙汰ですが、ギグやクラブに出演者として出ることもあります。アマチュアの身分ではございますが、出演者側として感じた経験も盛り込めたらと思います。
なぜライブに行くのか?
日付が決まっている
ライブコンサートを観に行くという人生の中のイベント、それ自体にはかなりの時間的制約が伴います。
例えば、"映画を観に行く"というイベントの場合、カレンダーを見て自分の都合の良い日に決めることができます。また、もしその日になって気分が乗らなかったりすれば日付を変更することができますし、もし寝坊して遅刻したとしても、同日に複数回上映している作品であれば時間をずらしてイベントを堪能をすることができます。
かなり強引な例えですが、"友人と遊園地で遊ぶ"といったイベントでも、ドタンバで日付変更なりすることができます。相当の友人の信頼失墜が伴いますし、そんなことやった人見たことありませんが。それでも、遊園地のチケットは例え前売りでも日付や時間が指定されているものはほぼ無いと言っていいでしょう。毎日変わらないアトラクションがあって、みんなそれを求めていきますよね? 友人とのアレコレを無視した場合、日付変更による金銭的打撃を受けません。
対して、ライブコンサートでは多くの場合前売りチケットが発売され、当然ながら日付と時間が指定されています。(同じような例ではミュージカルや寄席、お笑いなどもあります)
よほど有名でパワフルなアーティストでない限り長期間の連続公演はありませんし、何よりチケットに指定されたその日しか行けないので、チケットを購入した時点で将来の特定した2〜3時間の予定ががっちりと定まります。(チケットぴあなどによる定価リセールサービスも始まりましたが、手数料がかかります。行けなくなった時の金銭的負担は免れないので根本的な解決には至っていません)
そういうわけで、"音楽イベントに参加する"というイベントを設定しようとした場合、他のイベント事よりも不利である場合が多いです。友人とともに参加するならなおさらのこと。
始まったら巻き戻せない
ライブ中は時間を巻き戻すことができませんよね。
いや、何言ってんの(笑) 当然でしょ。……って感じですよね。エンドレスエイトの涼宮ハルヒの如く時を巻き戻す能力が無い私のような凡人にはできません。皆さんもそうですか?
なので、普段音楽を聴いているときにできるようなリピート再生が、ライブではできません。あくまで演者が設定したセットリストを辿って、終演まで進んでいくのみです。
どうでもいいことを考えてしまう・ぼーっとしてしまう
ここではメジャーアーティストのワンマンライブ・コンサートを想定して話を進めていきます。
人間が集中を持続できる時間は一般的に15分が限界と言われています。
ワンマンライブだと、たいてい2時間~3時間を公演時間とする場合が多いと思います。
ライブに行ったことがない人は、映画に置き換えてみるといいかもしれません。
その、2時間越えの時間の中で、全編通して集中して、余すところなく堪能したという経験がある人は、どれくらいいるでしょうか。
おそらくそう多くはないと思います。
たいていの場合は、なんだかくだらないことを思いついてしまって頭の中をぐるぐる回ったり、ぼーっとしてしまったり。
あるいは、思い出したくもないのに日々の憂鬱を思い出してしまって、せっかく現実逃避に来ているのにうまく楽しめない、ということもあると思います。ライブMCでもありますよね。「今日だけはすべて忘れて、楽しんじゃおうよ!」みたいな。言われなくても分かってるけど、でも思うようにできないんですよね。
同じ時間(とき)を感じるということ
こうつらつらと書き連ねていくと、いかにもライブ・コンサートはエンターテインメントとして「不完全」なものであるように感じるかもしれません。
実は、その通りなんです。
だって、6千円とか1万円とか払って2時間、その人を観るためだけに行くんですよ。外タレだと2万とかも平気でありますね。ちなみにポールマッカートニーの武道館公演のアリーナ席は10万です。転売価格じゃなくて定価でですよ?(まぁ、そのくらいの価値があると見込んでの価格設定は転売防止にもなりますが)
その2時間の中で、そのアーティストが、チケットを買って観に来た人を満足させるために、基本的には何をやってもいいんですよ?
もちろん「あの曲をやってほしい」とか「こんな構成にしたら喜ぶだろうな」というような、暗黙の意思疎通はあるでしょうが。
逆に言えば、観客が満足するかは、檀上に立つアーティスト=人間が2時間の間に何をするかという、一挙手一投足にすべて懸かっているわけです。
これってかなり不安定ではありませんか?
少なくとも私はそう思います。
しかし、ライブのそういう点こそが大きな魅力の1つであると私は思います。
そもそも人間は極めて不完全な生き物です。
地球上の生物の中で一番多次元的な社会性を持ってしまったがために、何をして生きればよいのか、何をすることが成功なのか、その絶対的な指標は見え辛いです(他に社会性を持つ生き物は数あれど)。
そして、感情を持ち、それらを表現すること・隠すことによって生活するようになってしまったがために、人は時折、それらに耐えかねて涙を流します。涙を流す人を見て「弱いね」と呟くならば、人間は地球上で一番弱い生き物です。
人は誰しもが成功と失敗の両方を経験します。誰かにとっての完全は、また誰かにとっての不完全なのです。
それが、人間が「生きる」ということです。
ステージ上で一人の人間が呼吸をして立っている。歌っている。弾いている。話している。それら一つ一つの動作が生きるということと直結しているのです。完全を求めるならば生演奏・生歌なんて必要ありませんが、現実はそうなっていないことからも分かると思います。
裏を返せば、○万人動員のライブで、いちアーティストが観客全員を満足させるなんてできっこないですよね。周りの観客の熱狂になぜかイマイチ乗り切れず、どこか冷めた目で見てしまい、なんだか損をした気分になる……こういった経験をしたことがある人も、もしかしたらいるんじゃないかと思います。
それも含めて、ライブなのです。私自身、今まで観てきたライブでは様々な思い出があります。あのライブのあの曲の時、なんか別のことを考えていたな、とか……時が経ってから思い出すのはなぜかそういうことばかりなのですが、それらすべてが今ではいい思い出です。
そういうところも含めて、生きている中の同じ時間が、会場にいるアーティスト/観客すべての人間の人生の中に深く刻まれます。だからこそ、思い出として深く残るんだと思います。
大げさな言い方になってしまいますが、ライブに行くというのは、私が「生(せい)」を感じる瞬間なのです。
存在の証明
これに関しては、冒頭で紹介したヘキサの記事と被っていますね。
初めてそのアーティストを観に行くといったケースに絞った場合、そのアーティストを生で見るのは初めてとなります。この経験が自分の中では結構大事だと最近思い始めました。
私は記憶力があまりいいほうではないので、アーティストがどんな出で立ちだったかとか割とすぐに忘れてしまいます。5年前観に行ったボストンの来日コンサートでトム・ショルツがどんな服を着ていたかとか全然憶えてませんし、13年前?くらいにKAT-TUNのライブ観に行ったときの赤西仁くんがどんな感じだったか、正直全然憶えてないです……。
だけど確かにこの目で見た……という、この経験こそが大事なんじゃないかと思います。
「この前○○のライブ観に行って~……」「え~いいな~」というような会話、傍から見ると中身が無いように思えますが、その価値に最近気づいてきました。
あの歌声の人……あの曲を作った人が目に映っている……という経験は何事にも代えがたいです。
そういった意味では、フェスというイベントはこの達成にかなり適していると言っていいですね。
目を閉じてみる
「生のアーティストを目に映す」という話の直後に真逆のことを話そうとしているわけですが(笑)
人間の五感「視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚」のうち、人間が取得している情報量の割合は「視覚からの情報」が実に8割以上を占めると言われています。
そして、こちらはちょっと出典が何か失念してしまったのですが、人間が視覚から得た情報はすべて脳が処理できるわけではなく、視覚から得た情報のうち半分以上を捨ててしまっているらしいです。いわば脳の処理能力がボトルネック、つまり不足してしまっているわけですね。ということは、脳が補完しているのです。コマ撮りのアニメーションが動いているように見えるのはそれらも関係しているのでしょう。
ということなので、脳は視覚からの情報を処理するためにリソースをたくさん割いているんです。見慣れた自分の部屋が落ち着くことの裏返しで、普段行くことのないライブ会場で、知らない人の揺れる影の間から、目まぐるしく変わる照明に照らされたステージを見るのは、きっと脳にとって相当負荷がかかっているはず。
それを少しでも防ぐために目を閉じてみると、視覚以外の五感が研ぎ澄まされて、耳から聴こえてくる音に集中することができます。だいぶ変わりますよ。今度騙されたと思ってやってみてください。
ステージパフォーマンスの学習
これに関しては、時として私も演者としてステージ上に立つ可能性があるというのが大きいですね。
メジャーアーティストは、大なり小なりステージ上で人前に立つことに慣れているので、その点かなり参考になります。
まぁ、それができるようになるとは言ってないんですけどね。
つくづく自分は人前に立つ人間ではないなといつも思います。
最近は演者としてライブをする予定もない(あったとしても中止ですね)ので、この面はちょっと薄れてきてます。
もうちょっとだけ続くんじゃ
ということで「なぜテトはライブに行くのか」ということを、主にドームやスタジアムを埋めるようなメジャーアーティストの場合を軸にして書いてみました。
次回はアマチュアバンドの"GIG"だったり、クラブだったりを軸にして書いてみたいと思います。また、ライブなど大規模イベントの自粛が促されている昨今において私が目にした色々な言説についても書いてみようかと思います。→書きました!
それではまた。