テトたちのにっきちょう

テト・ペンタ・ヘキサの3人組によるゆるふわ系ブログ

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映画『イエスタデイ』はビートルズファンにはガッカリする出来

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 先日、映画『イエスタデイ』を観に行ったのですが、私がビートルズが大好きというのもありすごく期待して行ったら肩透かしをくらうような出来でめちゃくちゃ残念でした。

 

 どこがガッカリだったのか、述べていきたいと思います。

 

 ※この記事は映画『イエスタデイ』のネタバレを含みます。ネタバレを避けたい方はブラウザバックを推奨します。

 

 

 

 

もし自分がビートルズだったら、という夢語り

 まずはじめにこの作品の簡単な概説を述べると、「ある日突然ビートルズの存在がこの世から消え去り、私だけがビートルズを知っている世界に。記憶の中のビートルズの楽曲を自作として発表しスターダムにのし上がっていく――」という感じ。最初にこの予告を見た時「僕はビートルズかな?」と思いました。

 

 

 これも結果としてはビートルズファンからは総じて不評だったようですが、パクリというよりかは「まぁ、誰でも一度は思うよね」という感覚。ビートルズを初めて聴いた時の衝撃を知る者は、誰でも一度は「この映像の中の彼らみたいに自信満々の表情でハモって、叫んでみたい」と思うわけで。

 


The Beatles on the Ed Sullivan Show

 

 そうした誰しもが幻想するifの世界を、本国イギリスの制作陣が満を持して映画化するということで、これを期待せずにいたと言ったら嘘になる。否が応でも気になるというもので、今回映画館に足を運んだわけです。

 

 

ドキュメンタリーを観ていた方がマシ

 しかし、その期待は無下に崩されることになりました。上映後、何も映されなくなった大きなスクリーンに「こんなのならAnthologyを観たほうがよっぽどマシだ。このスクリーンと音響が勿体ない」と本気で思った。

 


The Beatles Anthology

 

 実はこのブログのメンバー・ペンタとヘキサと一緒に映画を観ました。私がビートルズファンで他の2人はあくまで"知ってる"程度だったのですがこんな形で「ビートルズ関連の映画」を見せたくなかったしなんというか申し訳なく思った。観終わった3人の間にはどこか微妙な空気が流れていて、ペンタが「たぶんこの3人みんな考えてること同じだと思う」という一言で3人の意見は一致しました。ビートルズファンだけでなくともイマイチな映画だと感じる人もいるというのが実際のところ。

 

 

本当にビートルズでなければ描けなかったのか?

 では、どこがいけなかったのだろうか。それはひとえに「なぜビートルズは世間に受け入れられ、その後50年以上の時を超え愛され続けるアーティストとなったのか」の考察を感じられない、その一点に限ると思います。

 なぜビートルズは他のロックンロールバンドと一線を画し人気を得たのか。なぜビートルズはロックの枠にとらわれない実験的サウンドに挑戦していったのか。なぜジョンレノンの歌う"All You Need Is Love"は胸にしみ入るのか。なぜ"Let It Be"という名曲は生まれたのか。

 そこについて考察が足りていないこの作品に出てくるビートルズの楽曲は「ただの美しい曲」だし、ビートルズをネタにしたラブコメでしかない。そんな小難しい話などいらないというならこの映画はヒメシュ・パテルのビートルズカバーアルバムの販促映画だし暗殺を免れたジョンレノンの年老いたifの姿出演シーンなどいらない。何においても「中途半端」というか、ファンに媚びを売っているのかビートルズ勧誘映画なのかわからない、そして結局は恋愛で〆る。この映画が扱うのがビートルズである必要はどこにもないと感じました。

 

 

ビートルズは「ただの美しい曲」?

 主人公が「ビートルズがいない世界」で最初に披露した"Yesterday"こそマネージャーの胸に響くものの、その後のライブハウスではビートルズの曲をいくらやっても見向きもされず、求められるのはロックンロールばかり。そんな中、目の付け所が違うとばかりに小さなレコーディングスタジオを持つ者にスカウトされCDを作りバイト先で無料頒布。巷で話題となったところをエド・シーランに見出されアメリカの敏腕マネージャーの手によって世界中に知られるアーティストへ……というような、妙にリアリティのある話の流れ。いくらビートルズ級の楽曲でも影響力あるレコード会社の人間が金の力でゴリ押さないと世界には響かないという皮肉を示したいのだろうか。

 ビートルズが存在しない世界で、オアシスも存在しないとなると、ビートルズに影響を受けた各アーティストも存在しないと考えるのが妥当。だとするとブラーやエレクトリックライトオーケストラ、10cc、奥田民生サザンオールスターズなどあらゆるアーティストが消滅している可能性があり、当然ビーチボーイズのペットサウンズなども存在しない。そうなるとビートルズのような楽曲はまるでこの世に存在しなかった音楽から生まれた曲のように聴こえるはずで、これが人々の耳を「奪うのか、奪わないのか」の二択になると想像されます。全く見向きもされない異郷の音楽として描写されるのも衝撃があって面白いだろうし、逆に1曲鳴らしただけで人々の耳に衝撃を与えまるで革命が起こったかのように注目されるという設定でも面白いと思う。しかし、この作品では「地元のライブハウスで見向きもされない」シーンと「世界中の人々から称賛されるメロディ」というシーンの両方が描かれてしまい、「その後の大衆音楽に多大な影響を与えたビートルズの革新的な楽曲発表」という設定がまるで活かされていないように感じました。この設定を活かせばいくらでも大げさで面白く作れただろうに、やたらとコメディに走ろうとするくせにそこだけはリアリティを追求してしまって「じゃあなんでifものを作ろうと思ったの……?」と不思議に思わずにいられませんでした。別にビートルズが存在しない世界でビートルズの曲を発表するという設定じゃなくてもいいと思ってしまう1つの大きな要因はまさにここで、本当に「ただの美しい曲」という扱いなのです。

 

 

ビートルズ愛はどこにある?

 アメリカの敏腕マネージャーによって"A Hard Day's Night"がレコーディングされる時、録音の直前に主人公に「この曲はどういう意味?」と尋ねます。ビートルズファンなら「あぁ~まぁそれは聞くよね」というネタどころで入れたものだと思います。それに対して主人公は「特に何も考えてません」と答えます。

 当然ビートルズが存在しない世界ですから「あ~これはウチのバンドのドラマーのリンゴがね……」と講釈を垂れるのはまずいというのは分かっています。しかし、その曲がどういうバックボーンを持って生まれたのか、そこを知らないならビートルズを扱う意義はますますなくなってしまうと思います。しかもこの映画に出てくる曲のほぼすべてが扱いそんな感じ。制作陣が「特に何も考えてないけどクスッと笑えるネタ1つ入れられるしソコソコ有名だし入れました」というような扱いばかり。序盤から"Let It Be"流すしエド・シーランとの勝負でしんみりした感動曲だからというだけの理由で"The Long And Winding Road"使うし、主人公が元マネージャーに愛の告白をする直前でここぞという感じでなんの脈絡もなく"All You Need Is Love"入れるし。おみゃーらにとって"All You Need Is Love"は結婚入場曲なんか。

 主人公がリヴァプール関連の曲も歌いたいからストロベリーフィールド訪れたけど閉鎖されてました(これは有名だしネタとしてはちょっと笑えた)、ペニーレイン訪れたけど普通の通りでした、エリナ・リグビーの墓訪れてやっと歌詞が思い出せました。こんだけ描写しておいて曲としては出て来ず、たんにビートルズファンに向けて「クスリと笑えるネタ」として扱っただけ。これじゃ、ビートルズを聞いたことのない人に向けての目的すら果たそうとしてないように思う。ビートルズの曲が素晴らしいから映画を作ったんじゃないの? ビートルズの小ネタ集なの?

 挙句の果てには"Hey Jude"を"Hey Dude"としてレコーディングするよう仕向けられ、それに乗せられてしまう主人公。家族に"Let It Be"を披露するときあれだけこだわりがあったはずなのに、もうどうにでもなれとでも言うように呆れる主人公。これだけビートルズにこだわりを失った主人公に対して、かろうじてビートルズがある世界を記憶していたビートルズファンは「ビートルズを世界に届けてくれてありがとう。ビートルズがない世界なんて退屈。あなたの曲を聴けてよかったわ。"Hey Dude"はさすがに笑ったけど。ハハハ」と言ってのける。正気かよ。もし俺がこの記憶のあるビートルズファンの1人だったら抗議してるぞ。

 清々しいほどにビートルズにこだわりのない作中の人物は、まるで制作陣の生き写しのよう。そりゃ、ポールもリンゴも出たくないわな……。

 

 唯一「これはいいなぁ」と思ったのは"Help!"ぐらいですかね。ビートルズと同じ境遇の中で歌われたという描写は面白かった。

 

 

ギャビンが不憫

 唐突なギャグでごめんなさい。

 主人公の「恋愛か有名人か」というよくある葛藤をこの作品では描いているのですが、一度主人公は元マネージャーを捨てアメリカに行き、元マネージャーは小さなレコーディングスタジオを営むギャビンと付き合う決断をします。しかし、主人公はビートルズファンやジョンレノンとの対面によってビートルズの曲で稼ぐことを諦め元マネージャーとヨリを戻し、ギャビンは元マネージャーに「優しさは1番だった」と言われ振られます。

 この瞬間に「ギャビン、不憫!www」と不覚にも思ってしまったので仕方なくここにも書いています。欧米の恋愛映画に疎いのですが、こういう展開ってよくあるんですか? 私は少なくともギャビン可哀想と思ったし、元マネージャーのことを信用できなくなりました。

 

 

ジョンレノンのそっくりさん、いる?

 私は初めてこのシーンを見た時「これはやってしまいましたなぁ」と思いました。主人公はビートルズファンに地図を差し向けられ、訪れるとそこには、有名になっていないからこそ暗殺を免れ、独り身で暮らす老いたジョンレノンの姿が。

 このシーン、いる? 本人がいないからって好き勝手妄想して作りすぎじゃないか? いやまぁ、これは私がビートルズファンだからこその「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な、映画全体が微妙な出来だからこういうシーンも好かなく思えてくるのかもしれないけど。少なくとも私は世界の何千万人も観るような映画でジョンレノンを「船員として平凡だけど幸せな人生だったと語る人」として描かないな。だからポールもリンゴも出演しn(略

 

 

よかったところも数えるくらいならある

 それでもビートルズファンとしてすべてがつまらなかったわけじゃなく、楽しめた部分もあるにはある。

 "When I'm Sixty Four"や"With A Little Help From My Friends"などの言葉遊びはクスっとなったし、"I Want To Hold Your Hand"を元マネージャーとレコーディングした時のハーモニーは心地よかった。あとはエンドロールでの原曲"Hey Jude"。あれは泣けたね。

 

 

 あと、主人公役のヒメシュ・パテルはジョージハリスンに歌声が少し似てて、ジョージの曲は聴きごたえがあった。

 

 

 

 それぐらいかなぁ……

 

 

悲しいので

 テト・ペンタ・ヘキサで映画を観に行くのは『ボヘミアン・ラプソディー』以来で、あれは今更言うまでもなく観ていて楽しかった映画でした。それが今回はビートルズをテーマにした映画ということで、ビートルズの曲を聴いてペンタやヘキサに楽しんでほしかったし盛り上がってほしかったし、あわよくばその後の飲み会で私が彼らにビートルズのうんちくを聞かせてあげようと思っていたので(やっかいオタク)、その期待が大きく外れてすごく悲しかった。その後の飲み会はお通夜状態でした。嘘です。

 

 なので、今度はどっかでAnthologyのドキュメンタリーを丸ごと見せる……とまではいかなくとも、ビートルズの魅力を伝えられるような何かを一緒に見たいなぁと思っています。さて、どうしたもんでしょうかね。

 

 以上、映画『イエスタデイ』の愚痴をたらたらと書きなぐってしまいました。すみません、これからもよろしくどうぞ。

 

イエスタデイ(オリジナル・サウンドトラック)

イエスタデイ(オリジナル・サウンドトラック)

 
tetragon64.hatenablog.jp
 過去にビートルズのことを熱く語った記事です。

 

tetragon64.hatenablog.jp
天気の子を重大なネタバレなしで推した雑記です。でも『空の青さを知る人よ』の方が好きです。