テトたちのにっきちょう

テト・ペンタ・ヘキサの3人組によるゆるふわ系ブログ

MENU

西暦と元号の使い分け方はこれだ!宗教と年号の意外な関係

スポンサーリンク

こんにちは。


今日は何日だったのかすぐに忘れるヘキサです。

 

いつも当ブログの記事を読んでくださり、ありがとうございます。


文書の日付って結構気になりませんか?


ならない?普通そうですよね。


ヘキサも学校に通っていた頃、学校からもらうお便りを見てはいたのですが、日付がどうなっているかなんて全く気にしませんでした。


でも、いざそういう文書を作成する側に立つと、気にしろと先輩方からも言われ、そういう細かい部分で気がどんどんすり減っていくんだなぁと感じました。


特に、日付の部分で問題になるのは、今年を「20XX年(西暦)」で書くのか、「令和YY年(元号)」で書くのかというのは非常に悩ましい問題です。

 

 

 

一般的には……


一般的なビジネスの世界では西暦、元号どちらでも良いとされています。

f:id:tetragon64:20190428163245p:plain

やったー!どっちでもいいんだ!

ただし、文体の「だ・である調」と「です・ます調」のどちらかに統一するというルール同様、同一の文書内では、年号か元号のどちらかに統一する必要があります。


これは、文書を読んだ人の混同を避けるためだと言われています。

f:id:tetragon64:20190428163345p:plain

混乱!30%で自傷

ちなみに完全なる余談ですが、このブログは読みやすさよりもヘキサの書きやすさを重視しているため、「だ・である調」と「です・ます調」が統一されていません。この文章を参考にしないでね。他のブログとか本とかの文章を参考にしてくださいね。

f:id:tetragon64:20190428153437g:plain

デスマス(マイナーポケモン)

そして、もしその組織の中でどちらかに統一するという指示がある場合は、それに従いましょう。それはおそらく文書管理上、多くの文書をまとめて管理する必要があるので、元号か西暦かは統一した方が管理しやすいという考えがあると思われます。それ以上の理由は後述の宗教観以外には特に無いでしょう。

 

 

 

年を表す宗教観

 

普段、我々は年を表す際に、年号と元号のどちらも何気なく使っています。


しかし、この2つには宗教的背景があり、それを知る事で、この2つを場面によって使い分けることができます。

 

西暦の宗教観


西暦は、イエスキリストが生まれた年を0年として、そこから何年経過したかを表したものです。


実際のイエスキリストは、もうちょっと早く生まれていたという説が最近は有力であり、じゃあもはや誰基準だよ???とか突っ込みたくなります。


まあしかし長らくこれで運用してしまったので、今更変えるのもアホらしいですね。これこそ、世界のビジネスやシステムに大きな障害をもたらしてしまいます。世界が大混乱するし。


エスキリストは、現在のイスラエル付近でユダヤ教を軸とした自身の考えの布教活動を行った人物です。のちにその教えは弟子たちや影響を受けた人たちに纏められ、現在のキリスト教へと発展していった、いわばキリスト教の原点の教えを説いた人です。

(「キリスト教を作った人!」とか「キリスト教を広めた人!」とかそういう言い方をすると少し語弊があるので、ちょっとくどい言い方をしています。)

f:id:tetragon64:20190428163539p:plain

エスキリストのイメージ

ここから分かるように、西暦とはキリスト教の考え方が軸となった時間の表し方です。

 

 

 

元号の宗教観


元号というのは、天皇が定めた時間の表し方です。慶応以前(つまり明治時代になる前)天皇が占いや縁起などで決めていたために、1人の天皇でいくつも元号があったのですが、明治以降は一世一元の制といわれる、天皇1人につき元号は1つというルールのもと、「明治」、「大正」、「昭和」、「平成」、「令和」と来ましたね。

f:id:tetragon64:20190428163726p:plain

いらすとやさん仕事早スギィ!

令和がまだまだヘキサの中では実感がないというか慣れない存在ですね。未だに日付を書くときに平成って間違えてしまいそうです。


天皇が敬われる対象となる宗教といえば神道です。なぜなら、天皇神道の信仰の対象である天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫であり、人間でありつつ神様に近い存在だと考えられているからです。

f:id:tetragon64:20190428163901p:plain

昔の天皇のイメージ

第二次世界大戦後である1946年の元旦に日本国政府の官報で出された詔書にて、昭和天皇は「現人神」であることを否定された詔書を発表しています(通称:人間宣言)。つまり、人間宣言より前は天皇が神様が人の姿となって現れた存在(現人神)だと考えられていたということです。しかし、人間宣言によって神様ではないということを表されましたが、神道で大切にされている神様の1つである天照大神の子孫が天皇であることは否定されていません。だから、回りくどい言い方ですが、「人間でありつつ神様に近い存在」という考えが現在の一般的な天皇の解釈でしょう。これにより、天皇神道という宗教の考えによって成立している存在です。

 

だから、元号神道という宗教の考えに基づいた天皇を中心とする時間を表す制度であるということが言えます。

 

 

西暦と元号の使い分けの失敗例


ヘキサは文書を作るにあたって、何度も失敗をしてきましたので、そのうちのいくつかの失敗例を参考に年号と元号を使い分けてくれればと思います。

 

①教会の文書で元号を使ってしまった!


ヘキサは以前、キリスト教の教会の日曜学校でボランティアさせていただいていた期間があるのですが、そこでは子どもたちに向けてイベントのお便りを作成し、発送するという作業が多くありました。


まあ学校から遠足のお便りを送るみたいなイメージです。

f:id:tetragon64:20190428164048p:plain

いつも締め切りギリギリだった。ヘキサの性格が出てるわ。

しかし、教会の日曜学校はキリスト教の教えを説く場所です。しかも、その日曜学校の名前を冠するお便り、つまり教会が発行している文書となるため、キリスト教ではない別の宗教観があるというのはタブーです。


そうとは知らず、元号を何気なく使って注意されました。


は?知らんわ。って感じですよね。

f:id:tetragon64:20190428164203p:plain

は?知らんわ。

ってか、みなさんはここまでの前振りに目を通していらっしゃるから、「キリスト教で使ったらあかんの当たり前やろ!」とか言われそうですけど、社会人経験が乏しいヘキサにとって、「そんなことを知ってろ!分かれ!」と言われるのもなかなか精神的にくるダメージがありますね。


そういえば、その日曜学校のスタッフで、元号ネタで、面白半分で天皇の退位が発表された時に次の元号を考える企画やってたら、その時もめちゃくちゃ注意されましたね。

 

懲りないヤツやな。まあこれはしゃあないよね。

f:id:tetragon64:20190428164401p:plain

また怒られた。

ちなみに、その時も「令和」なんて単語は全く出てきませんでしたね。ってか当てるの無理ゲーだわ。まず「令」って漢字が候補になかったわ。昭和が近くにあったから「和」も完全に切ってたし。

 

あーもうめちゃくちゃだよ、どうしてくれんだよこれ

 

ヘキサが日曜学校でボランティアしていたときの経験から考えた「明日からできる!子どもの前に立って話すときにこれだけは意識する7つのこと - テトたちのにっきちょう」も合わせてチェック!

 

 

②役所の届けで西暦


実際、役所での届けは優しいので西暦でも対応してくれます。しかし、基本的には元号を書かされたり丸付けさせられたりします。

f:id:tetragon64:20190428164525p:plain

市役所のイメージ

役所を含め、日本で発行される公文書は西暦ではなく、元号で日付を書くことが求められます。


今までの流れでわかるとは思うのですが、日本のオフィシャルな宗教といえば神道です。もちろん日本国憲法では信教の自由は保障されているし、政治の世界に宗教を持ち込むのは?という意見もありますが。(じゃあ公明党はどうなるんだ?とは思うけど)

f:id:tetragon64:20190428164707p:plain

選挙が近くなると宗教団体から選挙に入れてと言われるよね

しかし、天皇を日本国の象徴に据えて天皇という存在がまだまだ日本の中で敬われる対象であるならば、神道の考えが伝統として残っているというのは容易に想像できますね。


そういう慣習の名残からか、日本の公文書では、日付を元号で書くことで統一されています。


まあ確かに分かりやすくはあるんですけど、いちいち令和N年は西暦20XX年、平成M年は西暦20YY年っていうのをgoogle先生に教えていただかなければイメージがつかないというのは本当に面倒です。

これは完全に若者世代であるヘキサの若さゆえですけど。西暦の方が馴染みがあるって感じですかね。

f:id:tetragon64:20190428164203p:plain

平成16年って西暦何年だっけ?みたいな

役所の届け出などの文書の他に、政治で使う資料や指導要録など、公文書と言われるものは元号で書くという文化は1つの日本らしい風習として、良い悪いは別にして残っています。


ちなみに、完全に余談ですが、国立の某大学の文書は日付が全て元号で、私立の某キリスト教系大学の文書は日付が全て西暦でした。偶然かもしれないけど、大学もそういう違いがあるんだなぁって思っていました。

 

しかし、国立の某大学が2019年度だけ急に西暦を使い出したので、元号の発表が1ヶ月前という超スーパーギリチョンタイミングだったことの影響がこんなところにあったんだなぁとヘキサは心の中で勝手に感慨深く思っていました。

f:id:tetragon64:20190428164956p:plain

元号の修正って大変だよね

元号は公文書の作成に重要なんだから、公文書の発行を日々している国が、元号の発表をギリギリの1ヶ月前にするっていうのが、ヘキサには国が勝手に自分で自分の首を絞めている姿に見えますね。

 

 

 

おわりに

 

今回は日本人がなんとなくで使っている西暦と元号について、背景にある宗教観から使い分けられているということを考えました。


やっぱ、宗教って難しいですね。(自明)

f:id:tetragon64:20190428165253p:plain

慣れなさすぎてわからねぇ

でも、時間という何気ないものの根底には宗教観が根付いてるというのは、無宗教と言われる日本人の多宗教さが出ている部分だと思います。


時間は文明の発達には欠かせない存在として、エジプト文明の頃から研究されて利用されてきたので、何気ない部分から本当に生活に根付いて大切なんだなぁと今回の記事をまとめながら改めて感じました。


そんな宗教との価値観にライトに触れながら、マナーの背景にあるものを汲み取って年号を選択して、ヘキサと同じ過ちをしないようにしていただけたら嬉しく思います。

 

ってかこのブログもヘキサが流行の令和ネタを書きたかっただけって説牛乳。

f:id:tetragon64:20190428165520p:plain

一番の令和ネタはこれだろ

 

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました!

 

 

 

(ヘキサ)

 

 

 

〜エンディングテーマ〜

令和

令和

  • provided courtesy of iTunes

 

ランキングに参加しています!↓