テトたちのにっきちょう

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テト・ペンタ・ヘキサの3人組によるゆるふわ系ブログ

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原語・原曲に当たることの大切さについて本気出して考えてみた

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こんにちは。

 


本気でTOEIC220点のヘキサです。

 
勘で答えた方が点数高いっていうね。

 

 

↓タイトルの元ネタはこちら。

 ポルノファンは別の記事へ、どうぞ。

 

今回はそんな英語できないヘキサなのに偉そうなことを語る記事になります。


日本でかなり少し前に話題になりましたよね。TWICEの「TT -Japanese ver.-」。耳にした人は多いのではないでしょうか?


かくいうヘキサも前に渋谷の街を歩いていた時には町中で流れていたし、テレビでもTWICEは散々取り上げられていたし、なんなら2017年NHK紅白歌合戦にも出場したし、数多く耳にしていました。(今もう何年だよ……)

 


しかしよく考えたら、Japanese ver.だけ耳にしており、原曲を聴いていないなと……

 


ということで、恥ずかしながらこの記事を執筆する少し前にヘキサは初めて原曲の「TT」を聴きました。(圧倒的時代遅れ)

TT

TT

  • provided courtesy of iTunes

 


今回は原曲版「TT」を聴いた時に考えたことをつらつらと記しますので、お付き合いください。

 

 

 

 

「TT -Japanese ver.-」の違和感


「TT -Japanese ver.-」を聞いているとやっぱり韓国語の原曲に日本語の詞を乗せているように聞こえ、聞いている時の違和感がやっぱりあります。

TT -Japanese ver.-

TT -Japanese ver.-

  • TWICE
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 


これはK-POPアイドルに限らず、外国語の歌を日本語に訳した詞をつけて歌っている場合に多くみられます。


例えば、音の運び方。やっぱり原曲の方がある程度発音に忠実な音の運び方をするし、日本語で聞くと日本語の音の区切り方や運び方とは違うなとか不自然だなと感じる部分があるように感じます。

 


あとは、原曲を聞いた時に感じた差といえばやっぱり韻の踏み方踏む場所ですね。


言語に差があるということは、発音が異なってくるので普通に機械的に翻訳していれば韻を踏むなんてことはありえないでしょう。それを踏まえた上でなるべく原曲に沿った韻の踏み方をしようと意識して翻訳されているのですが、やっぱり原曲の方が自然に韻を踏むことができているし、その分リズミカルに感じます。


ただ、個人的には日本語訳の1番のAメロは結構綺麗に韻を踏んでいる印象があるので、この部分に関して日本語詞を書いた人に尊敬の意を表します。本当にすごい。ご苦労をお察しします。

 


もう1つ考えると、実は日本語版だからこそ違和感が目立つというのも考えられます。


ヘキサは日本人ですから、日本語の自然さ、不自然さというのは普段から意識せずとも分かります。例えば日本人の話す日本語と外国人の話す日本語。どんなに外国人が流暢に日本語を話したとしても、日本人なら違和感を覚えてしまいます。

 


しかし、韓国語版を聴いても、ヘキサには流暢な韓国語というデータが頭の中にありません。だから、韓国語が自然なのか、不自然なのか判別できない状態なのです。

 
だから、日本語版は日本語の流暢さとか音楽ではない余計なことを考えて変な違和感を感じているのかもしれません。

 


原曲は、正直歌の中で発せられている声がどのような種類のものなのかを判別するのが精一杯で、音の意味を考える余裕なんて存在しません。

 
だから逆に、音が意識して強調され、韻の踏みとか音運びの方に意識が行き、本来の音楽の楽しみ方に近づいたのかもしれませんね。

 

日本語というフィルターが音楽を鑑賞する際の障壁になっていたのではないかとも思います。

 

もちろん、ヘキサは邦楽信者なので、日本語の曲も大好きな曲はたくさんありますが。 

 

ポルノとかポルノとかポルノとか。(やばくない意味で)

 

 

 

聞くならやっぱり原曲


先ほどの話から、原曲というのは音の不自然感が少ないことが分かりました。


たしかに、日本語詞だと音は多少不自然だけど歌詞の意味がわかって良いとか言われるじゃないですか。

 


ヘキサもその論を展開する人間(チンパンジー説はある)の端くれですが、あえて今回はそれに反論してみようと思います。

 


まず、詞の意味はそれほど大事ではない。

 


よく歌詞には作者の言いたいことがあるとは書かれますが、それは本当なのでしょうか?

 


曲を作る場合や文章を書く場合など、基本的には何かがあって、それを表現していると捉えられがちですが、目的を持って書いても書いてみたら別の方向に行ったとか何かを書きたいんじゃなくて書いてみたらそうなった!って場合の方が圧倒的に多いんです。

 
書いてみてから始めて「あっこんなことを私は書きたかったんだ」って気付きます。

 

この発言なんかジーニアス感 is あるわwww(英語の教科書ちゃうで)

 


曲の場合も曲に詞を乗せるというイメージよりも、曲がそう言ってるように聞こえるというイメージを表したみたいな感じです。

 
音程の高低音色といった音の表現など聞こえてくる音がこの言葉に聞こえる、ということを書き起こしてたまたま意味が付いてきたというように考える方が自然です。

 


そして、詞を作る人が「そう聞こえる」と思うということは、それなりにその人の馴染みのある言語である可能性が大きいです。

 


当たり前ですが、日本人が曲を聴いて歌詞を書くなら日本語メインだし、その人が英語ができるのであれば一部のフレーズは英語に聞こえると思ってもおかしくありません。


つまり、原曲の作詞した人の過ごした言語環境に近い言葉や耳にしたことのある言葉が一番自然になるということです。

 


だからこそ、曲に合わせた韻の踏み方や音運びというのは、原曲の詞を書いた人の感じ方に近いものであるので、自然に聞こえます。

 

ディズニー映画「リトル・マーメイド」の挿入歌である「アンダー・ザ・シー」は、本当に原語(英語)のバージョンを聴くと、意味よりも音感重視で聴き心地がいいことがわかります。魚の名前の英語とかなんでその魚がそのタイミングで登場したのか?という意味はよくわかりませんが、韻を怖いくらいに大量に踏んでいるので、本当に感服します。

アンダー・ザ・シー

アンダー・ザ・シー

  • サミュエル・Eライト
  • ディズニー
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 


逆に、原曲の詞を訳したり近い意味に合わせたりするとどうしても訳した先の言葉では似合わない音運びなどがあるので、その点でどうしても曲に言葉をわざと乗せているように聞こえてしまうのです。


前に学校でThe Beatlesの「オブラディオブラダ」の日本語バージョンを聞いた時にかなり大きな違和感を感じたのはこのためだったんだと納得することができました。

 

オブラディ・オブラダ

オブラディ・オブラダ

  • 宮本佳那子 & 高橋秀幸
  • チルドレン・ミュージック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 子ども向けとはいえ、日本語詞がダサすぎて聴き心地がいいものではない。

 

 

↓なので、原曲を貼っておきます。これは名曲。(比較するまでもない)

Ob-La-Di, Ob-La-Da

Ob-La-Di, Ob-La-Da

  • provided courtesy of iTunes

 

 

 

 

 

洋楽好きのテト


ずっと前に洋楽好きのテトが

 


「歌詞の意味なんて知らなくても曲が綺麗だから好き」

 

 
と言っているのを思い出しました。

 

 ↓言葉は違えど、今でもテトの考えは変わっていないということがこの記事から分かりますね。

 『共感できると話題に!』とか『考えさせられる歌詞』みたいな歌詞は称賛されがちですが、私はあまり好きじゃありません。それよりも、なんだかふわっと情景が浮かんでくる、そういう物語に惹き込まれるような歌詞が私は好きです。そういう歌詞はたいてい、意識的に歌詞を理解しようとしなくても無意識に曲に乗って"聞こえてくる"ように感じます。

上記事はじめにより引用↑

 


つまり、曲の綺麗さを曲の中に見出して音楽を鑑賞しているので、歌詞の意味なんて気にしないということですね。


これはまさしく先ほど書いた内容で説明ができるでしょう。テト本人がこの言葉をどのように理解しているかどうかは置いておいて。

 


ヘキサは根っからの歌詞の意味厨の邦楽信者なので、当初はこの考えを理解できませんでしたが、今ならその友達の言葉も理解できます。

 


歌詞の意味なんて気にしていると、音楽の大事な部分に注目できないよ!」と言われているようなものですね。

 

 

 ペンタも近しい考えを持っているみたいだとこの記事で判明しました。

 

 

蘇った空耳アワー


歌詞の意味を考えるのも曲の楽しみ方の1つと主張する方に否定はしませんが、音楽は文字の通り音で楽しむべきでしょう。

 
歌詞も音なので、変な言葉でもそう聞こえちゃったのならしょうがないというのが歌詞なんだと思います。

 


それをヘキサに感じさせてくれたのは空耳アワーでしょう。


空耳アワーとは、タモリ倶楽部で長年放送されているミニコーナーであり、洋楽など日本語以外の歌詞の曲の一部が日本語に聞こえてしまうという現象を視聴者から募集しピックアップして空耳した歌詞の様子を再現VTRで再現しながら実際に歌を聴くコーナーです。

 
言わずと知れた名コーナーですね。

(知らない人は知ってるって程でオナシャス。世間ではこれを八百長と言います。知らんけど。)

 
司会はタモリさんと安斎肇さん。

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このコーナーで、タモリさんは聞こえるか聞こえないかに焦点を当てています。


聞こえたものに関しては「聞こえちゃったものはしょうがない」とコメントしています。たまに下ネタもあるのですが、それも「聞こえちゃったものはしょうがない」として放送しています。

 


したがって、歌詞の内容自体はそこまでこだわってはいません。

 


タモリさんの笑いどころは、日本語以外の言語のマトリックスに当てはめていても何も思わないものが、日本語のマトリックスをはめてみるとかっちりと当てはまってしまうことの不思議さです。

 


つまり、このコーナーにおいては歌詞の意味ではなく、歌詞の音が大事なのです。

 


音楽は、音で構成されていますが、その音の連なりから構成される芸術は、意味よりも音が重視されるのです。


歌詞についてはそう聞こえてしまったならしょうがないと考えて、そこまで深くは考えず、音楽の本質である音を楽しむ。

 


これが音楽の純粋な楽しみ方なんじゃないかと思いました。

 


この感覚を不思議さと笑いという形で楽しんでいるのが空耳アワーなんですね。

 


ちなみに、空耳アワーの影響で空耳曲をたまに聞いています。空耳アワー界のニューヒーローであるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは歌詞としては社会批判を訴えているみたいですが、そんなのは気にせず「ナゲット割って父ちゃん」「パン!パン!夜食のパン」と楽しんでいます。 

 

↓「ナゲット割って父ちゃん」の曲

 

 

 ↓「パン!パン!夜食のパン」の曲

 

 

どっちもかっこいいなぁ(語彙力がアメリカ航空宇宙局から宇宙へと羽ばたいてしまった。)

 

 この曲の意味を考えることも大切だとは思いますが、音楽を音として捉えて楽しむならば、意味を考えることの優先度は下がりますね。

 

 

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おわりに


今回は、TWICEの「TT」から始まって、音楽の聞き方について語りました。

 
日本語じゃない歌は音で楽しむことは簡単なのですが、日本語の歌ではどうしても歌詞が頭の中で処理されてしまうというか、聞こえてしまいます。

 


もちろん、歌詞に込められたメッセージを受け手である我々がどう解釈するのかを考えるのも1つの音楽の楽しみ方です。

 


でも、音楽だし音を楽しむこともできるよね?というお話です。

 


もちろん、どちらかだけが良いという話ではなく、ヘキサは音楽をどっちの視点からも楽しみたいですし、両方の観点から音楽を捉えたいですね。

 

ヘキサはこれからも歌詞の意味を考えるような記事を書きたいなと思っていますし。

 


個人的には、音の楽しさがあまり感じられないような翻訳した歌詞を乗っけただけとかそういう音楽ではなく、意味が分からなくても音として聞こえたままの美しい音を楽しみたいものです。

 


2通りの捉え方ができれば、音楽も2倍楽しめるということで、非常に楽しい音楽LIFEを過ごすことができるのではないでしょうか?

 

お、ねだん以上。2通り。

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最後までお読みくださり、ありがとうございました。(唐突)

 

 


(ヘキサ)