テトたちのにっきちょう

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テト・ペンタ・ヘキサの3人組によるゆるふわ系ブログ

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目に見えない「みんな」という存在について〜立教大学の橋本環奈出演イベントの事件を知って〜

こんにちは。ヘキサです。

 


まずはこちらのネットニュースについて。

news.livedoor.com


立教大学の学園祭であるSt.Paul‘s Festival(以下S.P.F.)に橋本環奈さんが出演することで、当日の整理券配布を求めて人が殺到し怪我人まで出たという話です。

 

現場の様子の映像はTwitterで「橋本環奈 立教」とでも検索するとたくさん出てくると思いますが、他人のツイートの貼り付けによって揉めるのがよろしくないので、当記事への貼り付けは遠慮させていただきます。

 


Twitter等では、渋谷のハロウィンのニュースと重ねて考えた人もいましたね。

news.livedoor.com


渋谷のハロウィンにて暴徒化した事件と合わせて、集団でいることで暴徒化するということは共通点があると思います。(天津木村風)

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天津木村。あると思います。


その共通点についてヘキサが考えたことを書きます。

 

 

 

 

暴徒化の原因について


暴徒化の原因は集団心理だと言われています。


集団心理についてウルトラざっくり説明すると、個人個人では人格を持った人ですが、集団でいることで、理性や自制が効かなくなるという感じです。

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集団心理のイラスト

そういえば、式秀部屋に宇瑠寅という四股名の力士がいらっしゃいますよね。(スーパー関係ない話)

 


集団行動は学校等で経験があるので、なんとなくわかる気がします。

 


ただ、誰かが「それは止めよう」とか「それはいけない」というストップをかければいいのですが、集団でいるとそのストップがかかりにくくなりますよね。

 
しかも、渋谷のハロウィンも立教のS.P.F.も基本は見ず知らずの他人が多いわけですから。

友人がいけないことをしたら止めることはできるかもしれませんが、見ず知らずの他人がいけないことをしていても大抵の人は無視するだけでしょう。

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ハロウィンパーティのゴミのイラスト

ゴミが襲ってでもきやしない限り変わりそうにないですよね。

 


何か言って、言い返されたり否定されたりするのは怖いですし、言うだけでもエネルギーとか勇気をたくさん使いますよね。(分かって欲しいと思ってる顔)

 


そして、いけないことをしている人が止まらなくなってしまった結果、自分もこれに乗っていい、自分も加担しても大丈夫という安心感が生まれます。

 


その安心感の根拠は「みんながそうだから」です。


「みんながやってるから」「みんながそうしてるから」ということが続き、「みんな」が膨張していき、最終的に「みんな」が止められない存在になってしまいます。


集団って怖いですね。(小並感)

 

 

しかも、Twitterの映像とかみると、様々な人が映像や写真を撮っています。その映像を撮影している人を含めて。

 

本当なら暴動を止める、係員の話を聞くなどのことが挙げられるのですが、それよりも撮影を最優先している様子が伺えます。

 

これはおかしい光景ですよね?

 

もちろん、写真や映像として残して提供していただくことは事態を知るために(いいねの数を稼ぐためにも)大切ですけど、まずそれよりも先にやることがあるのではないでしょうか。

 

これこそ集団心理を象徴していると思います。

 

 

 

学校教育と集団心理の関係について


って、こんなところで止まってたら、普通のニュースとかコメンテーターの戯言の方が質が高いですよね。


なので、少しだけヘキサなりに頑張って意見を述べたいと思います。

 


近年、集団が暴徒化するというニュースが増えた気がしませんか?

 


ヘキサは増えたと思います。

 


しかし、これは明確な統計が出ていないので、答えは正直分かりません。

 


でも、近年よく耳にするというのは、何か変化があるのではないかとヘキサは思います。

 


ヘキサとしては、学校教育に原因の1つがあるのではないかと考えています。

 


例えば、近年の学校教育は「みんな」をとても重視します。


「みんながやってるから」「みんなそうしているから」という、実態の見えない「みんな」という存在を持ち出して注意することで、「みんな」という集団から圧力をかけられていること(真偽は問わない)を理由に教師が生徒を注意するということがよく行われています。

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生徒を怒る先生のイラスト


この教育では、結果的に「みんな」がやっていることは無条件で従うというメタメッセージが発されます。

※メタメッセージ:言っている意味や内容とは別に、潜在的に伝わっているメッセージのこと。ハイパーざっくりですみません。

 


つまり、「みんながやってること」に対する批判や意見ということはしなくていいという思 考 停 止に陥ります。

 
これは非常に危険な状態です。


なぜならば、その場の状態の良い悪いという判断が思考停止によってできなくなるからです。

 


そして、ひどい場合は「みんな」とは誰かということさえも思考停止して考えなくなってしまうのです。

 
小学校の時のヘキサの経験で、友人(当時小学生)に聞いたことがあります。

 


ヘキサ:「『誰もが関わりあう』の『誰も』って誰?」


友人:「『みんな』でしょ。」


ヘキサ:「『みんな』って誰?例えばどんな人?」


友人:「…………」

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勉強がわからない男の子のイラスト


これは、その子が「みんな」を誰か分からない=「みんな」の実態が分かっていないということです。


多分、その子は「みんな」という実態が分からないまま、「みんな」という実態の分からないものに縛られているのだと思います。


今思えばある意味その子は「みんな」というものの本質を理解していたのかもしれませんね。

 


渋谷のハロウィンやS.P.F.のことも実態として捉えられない「みんな」に流されて暴徒化してしまったのではないかと思います。

 


だからこそ、「みんな」とは誰か、「みんな」の行動は良いことなのかを問い直し、批判的に考える(=理由・根拠を考える)ことができるような人が必要であり、そのような人が少ないのではないかと思います。

 


ちなみに、内田良氏の『ブラック校則』という本によると、法律を守るべきだと考えている子どもは増えているそうです。

 ※画像は内田良チャンネルの動画「内田良が語る『ブラック部活動』」よりスクリーンショットを撮影したものです。

※こちらのグラフは『ブラック校則』(内田・荻上、『ブラック校則』、東洋館出版、2018。)に掲載されているので、詳しく知りたい方はそちらをご参照ください。

ブラック校則 理不尽な苦しみの現実

ブラック校則 理不尽な苦しみの現実

 

 

↓動画はこちら。


内田良が語る『ブラック部活動』

 


これは非常にまずい事態ですね。


法律=守るべきという構図が出来てしまい、法律なら思考停止で守るという思考停止状態が出来てしまいます。

 
話が逸れますが、日大のアメフト部の問題と本質は変わらないですね。


「偉い先生が言ったことだからやるべきだ」という思考停止に陥ってしまった(この問題は権威に屈しなければならないという雰囲気の中での判断なので、あの学生を責めることはできないことを付け足しておきます。)結果ですよね。

 

 

この動画からわかることは、思考停止になってしまっている人たちが増えているのではないかということです。


そして、この思考停止の人を生み出してしまったのは、学校教育が原因という部分が少しはあるのではないでしょうか。

 


だからこそ、これからの教育では、「みんな」という同調を説得の理由にする指導は弊害が大きいため、無くしていく方向に進んで欲しいと願っています。

 


もちろん、ついこういう指導をしてしまう先生方の気持ちは分かります。現代の教室は40人を1人で管理するというハイパー超人的スキルが求められていますから。

ちなみに、普通の1人の人が管理できる人数は7人くらいだと言われているそうです。


だから、教師の力だけでは押さえつけることが出来ない部分に関しては「みんな」という曖昧な言葉を使うことで同調や思考停止を求めて、それで管理をするというのは管理するという点で効率的です。

 
また、日本は集団の中の自分、つまり自分の上に集団があるという文化が形成されています。これは日本語の中にも顕著に現れており、これを簡単に変えることはできません。

 


だからこそ、「みんな」という同調を求めるのではなく、根拠を提示して納得してもらう、根拠がない場合は変える勇気を持つ、意見を取り入れるという、時間もかかるしスキルも必要な方法ですが、そういう指導が求められるのではないでしょうか。

 


そういう意味で、学校教育の意識が変わるべきという合図なのかもしれません。(問題を拡大しすぎ案件)

 

 

 

まとめ


今回は近年の暴徒化について考えてみました。


もちろん全て学校教育が悪いと断定していませんし、あくまでヘキサの個人的な考えです。


学校も忙しいですし、その忙しさや40人を管理しなければならないという、通常ではありえない超人的なことを求められる学校の先生に更に無理をさせるというのは非常に苦しいし無理があります

 


でも、私たちも思考停止で受け止めるのではなく、しっかりと理由や根拠を問うて、その上で自分の意思で善悪を判断するという意識が非常に大事なのではないかと考えました。


ヘキサも思考停止になってしまう部分があるので、理由や根拠を問うて、しっかりと考えることを意識したいと思います。

 


そして、特にこういうイベントとかに参加する人は、自分で善悪を判断してマナーを守るということが求められるのではないでしょうか。


ヘキサもこのS.P.F.の暴徒化を受け、自分のことのように考えて、自分で善悪を判断し、マナーを守るという判断が大事だと思い、少しずつ実践したいと思います。

 

 

 

補足説明というか後書き的なやつ


今回の一件で、Twitterを覗いてみると、運営であるS.P.F.実行委員会や橋本環奈さん、その他様々な部分に過剰に原因を探そうとしている方を見かけます。

 

S.P.F.実行委員会原因説

ずっと前から何度も批判と検討を繰り返して企画を練って用意したのは本当によく知っていますし苦労しているということもお察しします。

また、整理券配布にしたから人が殺到したという意見は結 果 論であり、例年橋本環奈さんクラスの著名なタレントをお招きして、同様の方法で捌いて、大きな問題は特に発生していませんでした。

つまり、この事件が起こる前から考えると、これは想定外の事態であり、今回の件の反省や今後の改善は必要でありますが、これを原因とするのはお門違いだと思います。

 

ちょっとだけ追記。

こんなの想定できるじゃないか、想定外というのは軽々しすぎる、という反論がありますが、結果論ではそう言えるかもしれませんが、本当に企画を立案している時企画を申請している時上層部が企画に対して何か意見を出した時などに同じことが言えるでしょうか?

ヘキサの経験談になりますが、イベントなどで企画をするときに、ミーティングや規格の検討では様々なことを想定しているつもりでも、実際本番になったら想定外のことなんてたくさん起こるし、ルールの抜け道なんてすぐ見つけられてしまいます。

また、企画を提出すると上層部からとんでもない意見や想定していない意見が出てきて、それを考慮しなければならない時の対応という点でも非常に対応が難しいことも多々あります。

学園祭の実行委員なんてどの学校でも中間管理職のような板挟みのポジションになるので、板挟みの中でどこまで妥協点を見つけられるかという議論や検討で本当に頭を悩ませていると思います。

もちろん、簡単に「想定外だった」という述べ方はしたくありませんが、様々な条件や文脈が重なった上で、検討から漏れてしまった状況があったということは、想定外という言葉以外の言葉をヘキサは当てはめられませんでした。

 

 

橋本環奈原因説

→ゲストとして呼ばれている人であり、橋本環奈さんが今回のイベントについて「暴徒化してほしい」と言った記録は見当たらないです。(当たり前ですが。)

もちろん、橋本環奈さんの影響力は大きいですが、この暴徒化に関しては橋本環奈さんがコントロールできる範囲ではないですよね。従って、これを原因とするのもお門違いだと思います。

 


したがって、マナーを守ることができなかった来場者の方に原因があるのではないかとヘキサは考えました。

 

 

ヘキサの大好きな場所である立教大学のものが壊されてしまったという憤りや、でも橋本環奈さんもS.P.F.実行委員会も一生懸命に用意してくださり、原因があるわけではないので責めることができないという気持ち、むしろ時間をかけて検討して用意してくれた時間を壊されてしまったという怒りなどなど、様々な感情が複雑に混ざり合っている状況で、勢いに任せてこの文章を書いています。

 


だから、支離滅裂な部分や日本語が変な部分も多々あると思いますが、この行き場のない思いを少しでも言いたいと思ったので、予定を変更して大急ぎでこの記事を書いています。

 


まだ事件が起きてすぐでヘキサの意見もあまりよく纏まっていないので駄文になってしまいすみませんが、最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

 

 

(ヘキサ)