テトたちのにっきちょう

テト・ペンタ・ヘキサの3人組によるゆるふわ系ブログ

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ぼくがThe Beatlesから教えてもらったこと

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 この記事は、ブログの共同運営者・ペンタやヘキサの発表した下記事に影響を受けてテトが執筆したものです。

 

tetragon64.hatenablog.jp
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 人はだれしも、好きな音楽を形成するきっかけとなった音楽家には多少なりとも特別な思いを抱いていることと思います。私、テトにとってのそれは「The Beatles」です。

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 私がビートルズを本格的に聴き始めたのは今から約8年前のことです。こう年数を書いてしまうとまだまだ歴が浅いな~と思いますが、現時点で人生の1/3以上、そして自身の青春期の大半ビートルズにのめり込んでいたと思うと感慨深いとも思います。最近は当時のようにビートルズを尋常じゃないくらいに聴いているわけではなくなりましたが、今でも本棚にはビートルズ関連の書籍が並び、ヴァイオリンベースを弾きながらポールの真似をしてみたりと、いつも自分の精神の中にどこかビートルズが棲みついているように思います。

 今回は、そんな、私にとって特別な存在となっている音楽家The Beatles」との出会い、そして彼らから教えてもらったことを語っていきたいと思います。

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なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。

 

 

The Beatlesとの出会い

胎教音楽

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 テトとビートルズとの出会いは意外にも早く、生後1歳に満たないうちに既に聴いていたと予想されます。
 というのも、テトの親こそがビートルズが好きで、よくCDラジカセにCDを入れて聴かせていたといいます。

 

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ググったら出てきたけどこういうの! まだ売ってるんだねぇ~

 

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The Beatlesを胎教として聴いて育ったので流れると無条件で精神年齢が逆戻りします。

はじめまして - テトたちのにっきちょう

 

 この記事で記したThe Beatlesを胎教として聴いて育った”というのはあながち間違いではなく、私が記憶を形成する前ぐらい小さかった頃に親から聴かされていたという事実があるようです。
 その影響か、自我をもつようになった後も、TVのCMなど何かとビートルズの曲が耳に入ると「懐かしい」と感じていました。しかし、この時点ではまだ好きな音楽という感覚はなく、数ある英語の曲の1つという認識でしかありませんでした。

 

ビートルズ好きのあの子

 当時私が好んで聴いていた音楽はジャニーズ、アニソン。いたって普通の男子中学生だったテトを変えたのは、ある友人の一言でした。

「バンドやろうぜ!」

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 もともと特に音楽が好きだという感覚はなかった。けれど、そういえば小学生の頃、親からZO-3ギターを買ってもらっていたので、なぜか自分の中では「自分は(いざとなれば)ギターが弾ける!」という中学生特有の盛大な勘違いを胸に抱いていました。なので、その友人には二つ返事で「お、いいね!やろやろ!ギター弾けるからギターね!」と言って僕らは 中 学 生 バ ン ド マ ン になった

 


たんこぶちん "カラフルスニーカー" YAMAHA music revolution イオン 伊都店大会
僕ら中学生バンドの永遠のライバル、たんこぶちん!!!!(同年代です)


 実際を言うと、そのZO-3ギターは買って2週間で物置の肥やしになっていたので、自称ギタリストの最初のお仕事は物置から出してきた何年かぶりのギターの見るも絶えないほど錆びついた弦を交換することでした。

 そして誘ってくれた友人Aがそのまた友達Bを連れてきてくれて、計3人でバンドを始めることになりました。まずは3人の好きなバンドをそれぞれ1曲ずつ言い合ってコピーしようということになり、Bがこう言い放ちました。

「私ビートルズやりたい!」

「ん、ビートルズ? そういえばたしか親がCD持ってたような」

 ふとそう口に出すと、Bがめちゃくちゃ食いついてきた。

「え、なんてアルバム? 赤盤!? 青盤!??」

「(確か、赤かったから…)赤盤かな?」

THE BEATLES 1


 節子、それ赤盤やない! ザ・ビートルズ1や!

 

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正しい赤盤(左)と青盤(右)
The Beatles 1962-1966

The Beatles 1962-1966

 
THE BEATLES 1967 - 1970

THE BEATLES 1967 - 1970

 

 
 このような、ビートルズをちょっとでも知っている人なら誰しもがツッコむような勘違いをしてしまうほど無知であった私が、その日からビートルズの魅力に取りつかれたようにのめり込んでいきました。幸いビートルズの曲を懐かしいと感じるほどの下地があった私は、すぐにビートルズにハマっていくようになり、ポールマッカートニーを好きになりました。そして、ポールの作曲センスが遺憾なく発揮されている後期のビートルズを特に好きになりました。
 後期のビートルズといえば、ご存知の通り名曲ぞろいではあるものの、ライブ活動は行わず、メンバーそれぞれの表現したい音楽が衝突してしまいバンドとして不安定になっていた時期でもあります。

 

バンドの行方

 バンド活動の方はというと、中学には高校のような軽音楽部はもちろんなく、ただ漠然と「バンドがしたい」という意思を持ちながらも、右も左もわからないまま手探りで日々が過ぎていきました。しかし分からないなりにも一生懸命情報収集をしたり考える過程で、バンドのみんなと練習をするスタジオの存在を知り、スタジオで練習するためのお金を貯金するようになったり、御茶ノ水へ行って新しいエレキギターを買ってもらったりしました。
 友人に誘われたことがきっかけとなって始めたバンドでしたが、気づけばその魅力に夢中になっていました。はやくみんなとスタジオ練習したい…バンド演奏というものをしてみたい…バンドというものへの夢がどんどん膨らんでいきました。

 しかし、その時私たちは中学3年生。受験や卒業が押し迫るにつれてやらなければならないことが積み重なっていく。スタジオ練習に時間やお金をかけられない。さらに、バンドとしてやりたいことの違いによるメンバー間の衝突が自分の知らないところで何度となく勃発。
 「バンドのみんなで演奏してみたい。いつかライブもできればいいな」それだけの思いで、予定の調整、スタジオの予約も率先して行い、その日のためにギターを練習するのが楽しい日々でした。受験すらあまり真剣に考えていなかったのでバンドのために時間やお金を割くのは全く苦ではありませんでしたが、今思えば周りとの温度差のようなものがあり空回りしていたように思います。中3のこの時期になかなかバンドのような趣味に参加できないのはある意味自然の流れではありますが、当時の私はそのことをあまり理解できていませんでした。

 

Help!

Help!

  • provided courtesy of iTunes
She Loves You

She Loves You

  • provided courtesy of iTunes

 

 結局、そのバンドでは"Help!"や"She Loves You"のようなビートルズ楽曲を含む数曲をコピーして3,4回スタジオで合わせた後に消滅してしまいました。私にビートルズを好きになるきっかけを与えてくれたBとは半ばケンカ別れのような感じで疎遠になってしまい、中学を卒業して以降、一切連絡を取っていません。当時の自分たちはたぶん一生懸命にバンドのことを考えて話し合っていたのでしょうが、今考えてみると本当におかしくて、若気の至りの塊の一番えぐみが深いところを濾して観察してみたような物語がそこにはありました。バンドの解散模様は本になるほど見ごたえのあるものが多いですが、自身が経験した中学生バンド(笑)のそれは比較にならないほどの面白さがあります。昔の自分のことなのに

 

 

 「バンドがしたい」ただそれだけだと自分は思っているのに、自分以外の誰かと誰かが衝突したり出し抜いたり、それが原因で誰かが抜け新しい誰かが入り、その人と誰かがまた衝突する…そんな状況に心底うんざりした私は「もうバンドなんて絶対にするもんか」と固く決めて、高校を入学しても軽音楽部には入らず1人で家に引きこもって作曲を始めました。約2年後、私は高校の友人とバンドを組みました

 

ポールの真似っこが大好きだった

 なんとなくわかってくれる人がいるのかわかりませんが、上記の[バンド解散→家に引きこもって作曲→約2年後、再びバンド結成]の流れはポールと同じようになろうと意識しているところが多分にあります。解散とか結成とかはもはや結果論でしかないのですが、例えばバンドの雰囲気が最悪の中、一生懸命活動を進めようと取り仕切ったりとか(ゲットバックセッション)、バンドが解散すると1人で宅録を始めたり(アルバム「McCartney」)、当時の自分は何につけてもポールの生き方を真似していました。
 (もともと自分も左利きではあったものの)ポールは左利きだからギターの弾き手を右利きに矯正しなかっただとか、ポールは作曲家だから自分も本格的に作曲を始めてみるとか、ポールはマルチプレイヤーだから自分もいろんな楽器を始めてみるとか…
 私が趣味活動として音楽を始めたきっかけとしてビートルズはとてつもなく大きく、またそのような活動をするときのお手本でもありました。
 ポールマッカートニーをはじめとした彼らの存在が、私の人生に大きな影響を与えました。

 

ビートルズに教えてもらったこと

視聴音楽の変化

 私がビートルズと出会って直後1年間ぐらいはマジでずっとビートルズしか聴いていませんでした。WALKMANを開いたら「今日は(ビートルズの)どのアルバムを聴こうかな~」というぐらい思考停止でビートルズばかり聴いていました。

 そのような期間があったので、他の音楽を聴く時に「ビートルズというものさしでその音楽を好きになる」ということもしていました。
 どういうことかというと、ビートルズに影響を受けたアーティストだったり、「ビートルズみを感じる」曲を好きになるという感じです。

 

 

 曲名でもうビートルズファンはニヤリとしてしまいますが、whooさんのルーツの中にビートルズという存在があることは間違いないです。私の一番好きなボカロ作曲家さんです。

 

いちばんいっぱい

いちばんいっぱい

  • provided courtesy of iTunes
London E

London E

  • 百石元
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
Star way to heaven

Star way to heaven

  • provided courtesy of iTunes
だれかさんのおもいで(Pollyanna)

だれかさんのおもいで(Pollyanna)

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 アニソンやゲーソンという領域においてビートルズみを感じる楽曲もあります。

 

God Only Knows

God Only Knows

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 ビーチボーイズのこのアルバムに関しては、ビートルズに影響を受けて作られたものでありながら、逆にビートルズに影響を与えた作品でもあります。ビートルズの各アルバムと同じくらい何度も何度も聴いたアルバムはこれが唯一かもしれません。

 

ペパーランド

ペパーランド

  • provided courtesy of iTunes

 

 親の持ってたCDを漁ってたらハマってしまった森高千里さん。こういうあからさまなオマージュに、リアルタイムでビートルズファンであっただろうオジ様たちと同じように速攻反応してしまう体になってしまいました。

 

The Inner Light

The Inner Light

  • provided courtesy of iTunes

 

 それから、ロックやポップ音楽における民族楽器のよさに気づかせてくれたのもビートルズでした。ギター・ベース・ドラムで表現されるロック一辺倒にならず、音楽の自由さ、豊かさに視野を広げさせてくれました。

 


yule / Debut full album「Symbol」- Trailer - 2017.02.08 On Sale

ミドリgaまどぐち!音小さいです!
ぼくも民族楽器、集めてます…!(何アピール)

 

 ここで紹介したのはほんの一部ですが、他にも、ビートルズを聴いていなかったら好きになっていなかった音楽、たくさんあります。
 機会ががあればまた後日、新たな記事にて詳しく書こうかなとも思いますが、とにかくそれほど、ビートルズとの出会いが自分の好きな音楽を形成する大きなきっかけとなりました。

 

自分の曲を作る楽しさ

 中学校を卒業してバンドと決別した後、私は家に引きこもって作曲を始めました。ギターやベース、ピアノなど家にあったものを見よう見まねで弾きながら宅録を重ねていき、1曲のポップソングを完成させました。
 4分の、いたって普通のポップソング。しかし、そんな普通の曲を完成させられたことにものすごく感動しました。それは、自分が奏でた音楽の結晶でした。ピアノを小さい頃から習っているだとか、そういう音楽的素養のない自分でも曲が作れた。それだけで嬉しくて出来上がった曲を何度も聴いては感慨にふけっていました。

 その日から、作曲をすることが私の人生の一部になりました。家に1人でいるとき、することはアコギを手に取って面白いコード進行がないか考えることでした。いいアイディアが思いつくとすぐにスマホを手に取り録音しました。きちんとDAWに録音したりして完成した曲こそ少ないですが、スマホに残された大量の録音ファイル(格好良く言うと「デモテープ」)を今でも聴いて青春のあの頃を思い出します。

 そして今では、打ち込み主体のいわゆるクラブミュージックの作曲にすら手を出しています。当初はそういった音楽は逆にビートルズが隔たりとなって受け入れ難く、「生音を録音することでしか表現できない音楽しかやらない」というふうに思ってしまうときもありました。しかし、ポールが現在までに作った曲の中にもそういう音楽があり、またそれらの領域で活動しているアーティストとも積極的に共同制作しています。

 

Appreciate

Appreciate

  • provided courtesy of iTunes
FourFiveSeconds

FourFiveSeconds

  • provided courtesy of iTunes

 

 知らない音楽への探求心、好奇心というものを忘れてしまうと途端に人は排他的になります。そうやって新しい音楽へ聴く耳を閉ざしてしまうのは勿体ないと思います。そして、過去の記事でも書きましたが、歳を経るほど新しい音楽への好奇心が減るともいわれているのに対して、全くその兆候すら見せずあらゆるジャンルを取り入れて曲を作っているポールには本当に脱帽です。いや、Sir Paul McCartney.

 

 私と同じように作曲を行っている友人がいるのですが、彼は自身のやる音楽すべてに一貫性を通しており、「あらゆる音楽に手を出すのはブレている。そういうのってダサいよね」という意見を貫いています。確かにそれは至極正しい。そういう人は周りからみて器用貧乏だと言われてしまうだろう。

 しかし、私はそんな器用貧乏でさえありたいと思っています。自分の好きな音楽に優劣なんて付けられない。一番好きなジャンルだけやりなさいといわれても、一番好きなジャンルがたくさんあるのだから仕方がない。第一、それが決められたらロックバンドやりながらクラブ音楽なんて作らないですし。
 あらゆる音楽に触れ、手を出してみることで得られる知見はいっぱいあります。他ならぬポールがそれを教えてくれました。周囲の目に囚われず、やりたいことをする。私にとってそれは「作りたい曲を作る」で、それ以上でも以下でもありません。

 

バンドの素晴らしさ

 中学でのあの一件以来、私はバンドをすることに対して相当臆病になっていました。スタジオで1曲合わせた時の快感は確かに脳裏に残っていて、その後バンドではない形で誰かと合奏してライブをするということはあったものの、またバンドを組もうという気持ちには到底なれませんでした。

 

一週間フレンズ。(1) (ガンガンコミックスJOKER)

 

 そんな私にも友達ができ()、彼もギターを趣味にしていたのでギターを持ち寄って遊んでいるうちに「バンドやろう」という話になるのは自然な流れでした。

 

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アイドルをやることに対して暗い過去がある矢澤さん


 中学の時のあの暗い過去を抱えている私は、バンドに対して、やりたいけどやりたくないという複雑な思いを持っていました。

 

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過去にいろいろ闇があったことを醸し出してしまう矢澤さん

 

 「ほら、俺、中学の時にバンドで色々あったから…」と闇を醸し出したかどうかは覚えていませんが、少なくとも「バンドをやることに決めました!」と正式に決まるまでは「このまま集まってちょいちょいギターを弾くだけでええんやない?」という思いでいた気がします。

 そんなこんなでバンドが発足し、例の多重録音ライブを行い、多少の犠牲(2人との友情)は払ったものの私をバンドに誘ってくれた友達その張本人とは楽しく活動できました。

 大学に入っても、その時と同じようなコピーバンドのサークルに入れば、好きな曲を演奏するためだけにメンバーが集まって内輪ライブするのでバンドで関係がこじれることはなくなるなと思い、コピーバンドサークルに入ろうと決めました。1人で作曲しオリジナル曲を作っていることは事実だけど、それとバンドとはあまり結びつけてしまうと危険という感覚がどこかついていました。
 しかし、数奇な事情で(?)そのサークルに入ることは叶わず、サークルに入るタイミングを完全に逃した私は、入学当初「バンドサークルに1つは入っておこう」と決めていたのに結果どこにも所属できないという事態に陥りました。当初の計画が崩れ、ちょっとした手持ち無沙汰の鬱屈した思いがうっすらと存在していました。

 そんな時、別の友人から「オリジナル曲中心のバンドを作ろう!」というお誘いを受けました。そしてそれこそが、今私が楽しく活動しているバンドそのものなのです。

 もし、サークル選びに苦労していなければそのバンドの誘いを断っていたかもしれません。ただでさえ「バンドを組む」ということに無意識的に不安を感じてしまう私が、そのオリジナルバンドを作ろうと思ったのは、そこでしかみんなと一緒に演奏できないからです。しかし、ある意味消極的にもみえるその結成したバンドで、私は言葉にできないほどの快感と感動を経験しています。

 

自分の作った曲をバンドで演奏する喜び

 早速曲を作る。バンドで演奏するための曲を。メンバーのみんなに曲の雰囲気を伝えるためにまずは自分ですべて演奏して、歌って、TABを作る。出来上がったデモテープをPCの中で聴いた時もそこそこ達成感がありました。ただ、迎えたスタジオ練習で、私はそれまでにない熱い感情が胸にこみ上げてきました

 自分が作った曲をバンドで初めて合わせた時こらえきれないほどの衝動が胸の中で湧き上がり、自分が演奏者の一員であるのも忘れて聴き入ってしまいました。今までの、自分だけで多重録音して、ミックスして、再生ボタンを押したときとは違う。なんなんだこれは
 メンバーに自分の曲を弾かせ、快感を覚える。こんなの服従させることに快感を覚える人と一緒じゃないか!

 もちろん、人前で演奏する以上、聴いてくれる人に好きになってもらえる曲を作るとか、ライブでの完成度を高めるために何度も合わせるとか、そういうシリアスな部分がバンド活動にはつきものですが、バンドやっててよかったと思えるのはその瞬間ですね。しかも新しい曲を作るごとに味わえるからね。もうその瞬間を思い出しただけで白飯が食える

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Get Back

 中学生の頃、バンドに誘われてビートルズを知りました。ビートルズ関連の色々な映像を見ていくうちに月日は流れ、気づけばバンドの雰囲気は最悪に。「あぁ、この雰囲気、ゲットバックセッションでも見ているようだ」と感じながら、これをあらゆるバンドの宿命だと決めつけ、あの時夢見たバンドから逃げるように1人になり作曲を始めました。
 しかし、当然のことながらあの時の私は何も分かっていなかったのです。バンドは本来、素晴らしく神秘性に溢れたものであり、自分1人では表現しようもないあらゆることをしでかして1人では絶対に気づくことのできない自分の曲の魅力に気づくことができるのです。

 ビートルズだってそうだった。前~中期のビートルズは…あるいはクオリーメン時代から、みんな楽しく音楽を奏でていた。だからこそ、ポールは解散間際に「ゲットバック(原点に帰る)セッション」を打ち出して、あの頃に帰ろうと訴えたのだ。

 意見の相違だってもちろんある。みんな違う過去やバンドに対する思いを抱えていて、好きな音楽も違う。けれど、みんなが最初に合わせた演奏の感動を覚えていて、いつでもあの頃のような衝動をまた感じようと集まる。バンドをやっているすべての人の原点は、きっとそこにあるのだ。だからこそ、バンドのために新しい曲を書こうという時。幕が上がり、まさに今ライブが始まろうとしている時。そして、歯車が狂いかけようとしている時。――人は、原点に立ち返ろうとその頃を思い出すのである。

 


Get Back - 1s Preview

 

おわりに

 ここまでいろいろと自分語りを多分に交えながらビートルズが私に与えてくれた影響を語ってきました。長々と読んでいただきありがとうございます。
 冒頭に紹介したペンタの記事ヘキサの記事のような音楽遍歴とはちょっと違いますが、なぜビートルズを聴き始めたかを語るとその後の私の人生にまで如実に語らなければならなくなってしまったので「The Beatlesから広がった音楽遍歴」はまた後日、別記事にて書いていこうかなぁと思います。

 

 最後になりますが、今回の記事の自分語りは性質上、身バレを防ぐために多分にフェイクを含んでおりますこと、ご了承ください。

 

 おわり。テト