それでも、やめられないんですけどね。
どうも、テトです。
今回も割と雑記になります。
友達や気になる人などに「おススメの音楽、教えて!」と投げかけることは本当に安全な行為か、ということです。
とある昔、友人とカフェで音楽の話をしていた時の会話です。その友人とはとても音楽の趣味が合いそうに感じていました。彼女はある音楽ジャンルに造詣が深く、私はそのジャンルを最近聴き始めて好きになった頃だったのでオススメのアーティストを聞きました。彼女はその場でiPhoneを取り出してオススメの曲を厳選して耳元で再生してくれました。やはり、めちゃくちゃいい曲。
やっぱり聞いてよかったと思いながら、話の流れでなんとなく私はこう言い放ったのです。
テト「こういう、人にオススメの音楽とか聞くの好きなんだよね〜。思いがけない出会いとかあるからさ。」
友人「そうだね。でも、私はあまり聞きたくないな。人からある音楽を教えてもらってその音楽が好きになったとして、もしその人と何かあって別れてしまった時に、その音楽を純粋な気持ちで聴けなくなってしまうから。」
私はこの言葉を聞いた時「そんなバカな話があるか」と思いました。その音楽自体に罪はないし、人間関係のもつれで好きな音楽を聴けなくなってしまうなんてそんな悲しい話はないと思いました。
私がその後「でも、その音楽に罪はないじゃん!」とか反論したかどうかまでは憶えていませんが、私は今でもこの思い出を比較的はっきりと憶えています。それは私が今でも大好きな音楽を発見した瞬間だったからかもしれない。それか、彼女がどこか神秘的で当時ちょっと気になっていて、その気になり始めた人と初めて積極的に会話できたシチュエーションだったからかもしれません。わからん。(照れ)
でも確かに言えることは、上記の理由と負けず劣らず彼女の言葉が当時の私にとって衝撃的で忘れられないものだったということです。そして、まるでその言葉が予言だとでも言うかのように、その後の私の行く末を言い当てていたのです。
"聴けなくなってしまった"音楽の誕生
時系列がやや複雑になってしまうのですが、前節の思い出の日より数ヶ月前、別の友人とちょっとキニナル関係になっていて、音楽の話になった時についいつものクセで好きなアーティストを聞いてしまったのです。
すると「◯wl City好き!」ときたものなので、私は共通の話題が欲しいとばかりにすぐツ◯ヤへ行き◯wl Cityのベストアルバムを借りて聴き始めました。幸い?聴きやすい曲ばかりだったのですぐ好きになり、その友人と「◯◯って曲いいヨネー」みたいな会話をLINEとか直接会った時とか繰り広げました。たぶん。憶えてない。(記憶から抹消されてる)
ちなみにこれは余談なのですが、私はCarly Rae Jepsenが好きです。2ndアルバムの"Kiss"をよく聴いていたのですが、そこに収録されている"Good Time"という曲はOwl Cityとのコラボ曲なんですよね。好きなアーティスト同士がコラボレーションしているなんて、当時の私は一瞬で運命を感じてしまいました。あーーーーー!(黒歴史を披露して頭をかきむしるオタク)
こんなリア充ソング、オタクが背伸びして聴いてるから痛い目にあうんだよ(錯乱)
Owl City & Carly Rae Jepsen - Good Time
そんな運命を感じた関係も1ヶ月足らずで終了し、半ばケンカ別れ的な感じになって彼女とはその後疎遠になりました。1年後、サークルの新歓で机を並べた時に向かいが彼女の所属するサークルで久しぶりに顔を合わせました。彼女は髪が金色になってました。
ここまでを時系列的に整理すると、「人からオススメの曲を聴きたくない」と友人が言った出来事の数ヶ月前にはもう『気になる人から音楽のオススメを聞いたこと』も『その人と別れたこと』も経験しているんですよね。それでいて私がなぜ「バカな」と言ったのかは、当然『Owl Cityを純粋な気持ちで聴けていたから』です。その当時は。
当時は…と付け加えたということは、もう皆さんお気付きですよね。
そう、何を隠そう私は現在、Owl Cityを純粋な気持ちで聴けなくなってしまったのです!(デデーン)
Owl City - Fireflies
なぜ、その音楽を聴けなくなってしまったのか
どのタイミングでその音楽を純粋に聴けなくなってしまったかは明確には憶えていません。具体的なきっかけというのは特にはなかったと思います。ただ、Owl Cityを純粋に聞けなくなった時の心情を今客観的に分析してみると『自分と同性』で『自分よりも(おそらく)歌が上手い、いけ好かない奴』だという感情なのではないかと思います。ひょっとすると嫉妬に近いものがあるかもしれません。
こう「嫉妬!」と書いてしまうと(彼女に未練タラタラだったのではないか)と思われそうですがそうではなく、疎遠になった直後はむしろなんの記憶の紐付けもない状態で聴けていた気がします。しかしなぜか日を追うごとに『思い出してしまう』症状が表れ苛む事になりました。その後、彼女がパツキンのなんだかヤベェ奴になって私の目の前に再び現れた時「この音楽が好きだったヤベェ奴を気になっていた時期があったんだな…」と自分の過去が情けなくなってしまい苦痛で聴けなくなってしまいました。
Owl Cityを『アイドル的』と表すにはいささか抵抗があるが、私の個人的感情はそれに近いものがありました。対象のアーティストが『アイドル的』で『ソロアーティスト』であるほど、恋愛のもつれによって聴けなくなってしまう可能性があります。
音楽は思い出と簡単に結びついてしまう
こうなってしまう一つの原因として、こんな音楽の性質がある気がします。これは何も人間関係のもつれに限った話ではありません。「辛い時期に聴いていた音楽を聴くとその時期を思い出してしまう」などといった話はたまに聞いたりします。
高校生で軽音楽部に在籍していた頃、けいおん部が日の目を見るのはだいたい新歓ライブか文化祭くらいのものなのでそれらは一大イベントでした。高校3年になって初めてバンドを組み、最初で最後の文化祭だと意気込んで練習に励んでいたところベースとドラムの2人が新しいバンドを他で組み私たちのバンドをドタキャンで脱退したことはなかなかのトラウマになりました。
別にバンド組むのは早い者勝ちってわけじゃないけど、なんかね。なんか嫌じゃないですか?(明確に反論できない人) ということで彼らは半年ぐらいバンドメンバーとして肩を組んできたのに疎遠になりました(今記事2件目)(疎遠になった人たちを紹介するコーナーではない)
ちなみにその後バンド活動は少し停滞し心はもぬけの殻のようになっていたのですが、悔しかったので見返してやろうと思い、残った2人のパート以外ドラムやらベースやらキーボード全部多重録音してライブしました。抜けた2人はライブにすら来ませんでした。
Mr.Children「名もなき詩」Mr.Children "HOME" TOUR 2007 ~in the field~
抜けた2人が他のバンドで披露した曲はそのトラウマと容易に結びつきました。なんなら見に行かなきゃよかったとすら思っています。コピーバンドだったので元の曲が嫌いになりました。曲に罪はないのに。
元アーティストを嫌いにはならなかったんだけど。
嫌いになりかけても、本当に好きであればまた戻ってくる
同じような人間関係のもつれでビートルズを嫌いになりかけた時期もあったんですが、これは最終的には嫌いになりませんでした。きっと、そのアーティストが本当に自分にとって魅力的で、本当に好きであればまた好きになれます。その再び好きになれる時期は、疎遠になった人を忘れた瞬間です。その瞬間まで耐えられるだけの魅力がそのアーティストに見出せないと厳しいと思います。
人からどんどん音楽を吸収することは本当に賢い選択か
ここまで書いてから、もう1度この記事の問いに立ち返ってみます。
この記事においての「人から音楽を吸収する」の意味は、「特に音楽関係で知り合ったわけでもない人と音楽の話をして、その会話の中で自分の音楽の知見を広める(=アーティストを発掘する)」ということだとしています。
ちなみに、音楽を通じて知り合った人とはどんどんそういう話をしていいと思います。大抵そういう人とはケンカ別れしたり絶縁したりする要因はないように思います。中には音楽を通じて知り合った人とあわよくば付き合おうとかいうケースもあるかもしれませんがややこしくなるので触れません。
ここで私が言いたいのは「特に音楽の話をしなくてもいいような人とあえて音楽の話をするのは得策か」ということです。
メリットは確実にあると思います。音楽のディグをマインドマップ的に表現するなら、自分とはルーツの違う人の音楽を吸収することは、マインドマップの中心部を別に作り、そこから枝を新たに伸ばしていけるということです。
そこから自分自身の枝と繋がった時は結構感動しますし、友人との会話の発展にも繋がります。
しかも、友人からオススメされた音楽って、いわば"お墨付き"ってことじゃないですか。ヘタに音楽のキュレーションサイトとか雑誌とか読むよりよっぽど手っ取り早くてお手軽感があります。
そして何よりも、どんな音楽が好きかを聞くことによってその人の人となりなどを計り知ることができたりできなかったりします。人となりとまではいかなくとも、どんな音楽が好きかを知ることは結構楽しかったりします。それらの音楽を聴いてその人に思いを馳せたりすることが、私は割と癖になっていたりします。皆さんもそういう経験ないですか?
これほどまでにメリットがある。けれど、それはその人とうまくいっている時の話。もし喧嘩とか、裏切りとか、何らかの形で疎遠になってしまった時に、マインドマップ的に広がっていたその音楽は根元から腐ったようになり、一瞬にして(自分にとって)負の遺産になりえます。そして、自分の中では触れてはいけないパンドラの箱の中の音楽として、数ある音楽の中に居座ることになります。
キュレーションサイトや雑誌などを使って自分で音楽をディグっていればこんなことにはなりません。自身でディグるということは、「自分で見つけた!」という意識の優位性もありますが、自分で探し、選んだということに対する責任や思い込み等によってますます好きになるという側面も持ち合わせていると言えます。もちろん、そこに出会えるまでは膨大な音楽の中から探さなくてはならないのですが、手間がかかるにはかかるなりの確実性があるのです。
若ければ若いほど?
人間関係のもつれによって好きな音楽を聴けなくなる…こういうことが起きてしまうケースは少ないかもしれません。もしかしたらそういう経験すらない良好な人間関係を築いている人もいると思います。本当に羨ましい。
そしてその人間関係のもつれはやはり、より若いほど起きやすい。大人になればなるほど人間関係が固定化するというのもありますが、若気の至り的な何かによって関係がこじれたりする出来事は少なくなるでしょう。
さらに、同時にこんな調査結果も出ています。
この記事が出た当時、いろいろと話題になり賛否両論になったことを覚えています。私はまだ30代を経験したことがないので真偽の程はわかりませんが、あえてこの結果を信じるなら、人にオススメの音楽を聞いて回るほど好奇心があるのは若い世代のみということになります。
これらの事柄をまとめると、「オススメの音楽を聞いた後に人間関係のもつれがあってその音楽を聴けなくなってしまう事象は、若ければ若いほど発生しやすく、歳を取るごとにその頻度は少なくなっていく」ということになります。本当かどうかはわかりませんが。
結論、わからん。
この先、出会った音楽にどんな思い出が結びついたとしても厭わない。私はいろんな人と音楽の話をして、吸収したり人となりを知ったりしたいんだ! と思えるなら、そういう生活を続けていいと思います。
しかし、私も過去はそう思ってました。そして、知り合った人、友達になれそうな人すべてにどんどん音楽の話をかけた結果、聴くのが辛い音楽を結果的に生み出してしまったのも事実です。幸い、今はまだそういう風になってしまったアーティストは少ないのでダメージは小さいですが、これから運命的な出会いをした音楽がそうなった場合のことを考えると目も当てられません。普通に知り合った友達に音楽のディグを委ねることは、そういう綱渡りをしているということです。
おわりに
ここまで長々と書いてきました。この記事を書くきっかけとして何があったわけではないのですが、冒頭の友人の言葉が今でも忘れられなくて、2年以上経った今でも自分の中で渦巻いていたので書き起こして整理してはみたのですが、答えは出ませんでした。
結局のところ、私はこれから先も「新しく知り合った人と音楽の話をして人となりを知ること」と「音楽と人間関係を容易に結びつけるリスク」を天秤にかけ続けると思います。
追伸
先日、バイト先の知人と音楽の話になって、オススメの音楽(というか、DJをする時のジャンル)を聞かれました。「グライムですねー」と言うと案の定知らなかったのですが、そのジャンル名をメモって「今度聴いてみますね」と言ってくれました。人に好きな音楽を聞くことも楽しいですが、やっぱり"聞かれること"も嬉しいというか照れくさいですね。うーん、悩むなあ〜。
音楽の試聴環境変遷記事リンク
この記事は別の記事となんとなく繋がっていたりします。↓はプラットフォーム記事です。