こんにちは。
誕生日1人ディズニーの傷跡をしばらく引きずっているヘキサです。
いつも当ブログの記事を読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、その誕生日1人ディズニーシーに行った後にヘキサが考えたことをつらつらと書く内容になっております。
「ヘキサの誕生日1人ディズニーとはなんぞや?」という人はこちらの記事を参照してからお読みくださると嬉しいです。
家に帰ったら号泣していた
2月某日の誕生日1人ディズニーを終え、終わってしまったという感傷的な気持ちを抱えて家に帰りました。家に帰ったら夜11時を回っており、自分の誕生日の時間を残すところあと僅かになっていました。
そんな中でも出迎えた母親が誕生日ケーキということで小さなモンブランを家族の分用意してヘキサが帰ってくるのを待っていてくれました。ヘキサが帰ってくると母親は徐に冷蔵庫からモンブランを取り出し、家族で一緒にモンブランを食べました。(お母さん優しい!ありがとう!!)
モンブランを食べながら時計を見たら12時を回っており、ヘキサの誕生日というものはとっくに終わっていましたね。モンブランを食べ終わると寝る身支度ということで風呂に入りました。
ここまでは普通に平穏に少し寂しさを覚えながらも流れ作業で進んでいました。
風呂に入った瞬間に勝手にヘキサの目から涙がこぼれ落ちていました。
ワンワン泣いてるとリビングに聞こえてしまうため、声は出していないのですが、無言でひたすら涙が溢れているという状態です。
誕生日という大切な1日が予想以上に早く終わってしまったという虚しさ、悲しさ、無駄にしてしまった自分の軽率な行動の反省、情けなさ、その他いろんな感情が掻き混ぜられて一斉に溢れ出している状態でした。
まさに感情のミックスジュース。
もうなんか5分以上泣き続け、次第に自分がなぜ泣いているのかさえ馬鹿らし思え、それでまた泣いていました。
ここまで感情が溢れ出て涙も溢れ出たのは何年ぶりなのかと言われても定かではないレベルで数年ぶりくらいのレベルです。
中学生の時とかそれ以来かな?
自分の感情というものはこんなに傷つきやすいものなのかと改めて自分の弱さを知りました。
ここまで涙が溢れてくるというのはよっぽど自分の心に相当大きなインパクトがあったということなので、この原因をより深く、より細かくヘキサなりに考えてみたというのが今回の記事の発端になります。
1人ディズニーの功罪
ヘキサはディズニーに1人で行きました。
もう少し細かく表すと、ヘキサは1人でディズニーシーを8:00〜21:40まで過ごし、一度もパークを出ることなく、ひたすらキャストさんから「ハッピーバースデー!」と声をかけ続けられて1日を終えました。
これはヘキサがディズニーにいる間は現実に戻れなかった(戻らなかったのではない)のではないかと考えられます。
お連れ様がいる例
普通であれば、友達数人を連れてディズニーに行きます。
ディズニーというのはパークの中に入る前、入った後、特にパーク内を歩いているとき、アトラクションを待っているとき、ご飯を食べるとき、パークを出た後の帰りの電車の中など、様々な場面で一緒に行った友達と会話を楽しみます。
よほどのコミュ障オタクでも、ディズニーにお連れ様がいれば、その人と会話をしながらディズニーの時間を過ごすでしょう。
そのお連れ様や友達というのは、一緒に会話を楽しんでいるとどこかで現実に引き戻されるときがあります。
例えば、そのお連れ様が普段から仲のいい友達だった場合、普段聞いている声をずっと聞いている、会話しているということだけで普段のことを思い出すこともあり、また待ち時間とかで日常のことを話すことで日常のことを思い出したりします。
例えば、学生さんであれば
A:「ねえ、そういえば今日成績発表だよね?」
B:「あっそっか!もう発表の10時か!見て見てみようかな。怖いなぁ……」
A:「じゃあ成績一緒に見ようよ!赤信号2人で渡ればなんとやらだし」
B:「そうだね。まだしばらく待つみたいだし見てみようかな。」
成 績 開 示
A:「あっ!絶対落としたと思った授業C付いてた!!!やったぜ!!」
B:「あー……頑張ったと思った授業の単位落としてる……池○彰の授業は厳しいと噂に聞いていたけどまじかぁ……」
(圧倒的天国と地獄)
みたいな会話をパーク内(特にトイストーリーマニアやタワー・オブ・テラーなどの人気で待ち時間の長いアトラクションの待ち時間)で行った経験のある人は少なからずいるのではないでしょうか。
ここまで完全に現実に引き戻すような会話ではないかもしれないですが、現実を思い出すような会話(学校や仕事、友達関係など)を会話のダシにする人は多いと思います。
そういう会話というものは少なからず現実の光景を思い出し、その時はディズニーのことではない別のことを考えています。
こういうことがあると、たまに現実に引き戻してくれて、のめりこみを多少抑えてくれる効果があります。
また、お連れ様と帰りの電車の中などで話すと、思い出を語ったり、思い出に浸ることでのめりこみを徐々に徐々に解いてくれるという役割があります。
今の話をヘキサが勝手にイメージでグラフにまとめるとこんな感じになります。
グラフ1↓
フリーハンドですみません。
おおよそのイメージ図ですので、細かいところは無視して捉えてくれると嬉しいです。
つまり、お連れ様がいるということだけで、のめりこむのを緩やかにしたりのめりこみから解くのが緩やかになったりする効果があることが分かります。
ヘキサの場合
では、誕生日1人ディズニーのヘキサの場合はどうでしょうか?
基本的にインパからのFPゲットの流れは変わりませんが、アトラクションに並んでいる時に出来ることは写真を撮ることとメモすることとTwitterをいじること、次の計画を立てることなどできることが限られてきます。
その中で、現実に引き戻すきっかけとなるものはTwitterくらいしかなく、しかも自分のツイートはディズニーのものばかりになるので、明らかに友達と会話するよりものめりこみが激しくなってしまうことが分かりました。
もちろんこれはヘキサの場合です。他にSNSを行っている人もいるかもしれませんが、いくら多くのSNSで多くのアカウントを持っていてもさほど大きな変化はないと思われます。
そのため、どんどんのめりこみが進んでいくのに、現実に引き戻されにくいという状態が出来上がっています。
特に誕生日シールを付けているということもあり、キャストさんにも積極的に声をかけられるので、一般的な1人ディズニーよりものめりこみが激しくなってしまうことが考えられます。
昼食時には1人でTwitterをいじりながらだったのでのめりこみが酷くなることを回避したのですが、ヘキサの場合、夕食は計算外にのめりこみが激しいものでした。
高級レストランということで、更にコース料理ということもあり、1品1品ゆっくりと雰囲気にのめりこまれながら食事していました。
雰囲気も良く、料理も美味しく、Twitterをいじる暇もなく、八方塞がりの状態でのめりこみ度だけがどんどん上昇していきます。ヘキサは実際食事の美味しさや雰囲気が気持ちよすぎて、このレストランだったら無限に居座れるなとか思っていました。
そして、増えに増えて行ったのめりこみですが、緩衝材となる友達やお連れ様はいないため、パークを出た瞬間にガタンと崖から落ちたような強い衝撃を受けます。
今の話をグラフに表すとこんな感じ。
グラフ2↓
これまたフリーハンドですみません。
この最後の落差による強い衝撃からくる心の痛みがヘキサの涙の原因ではないかとヘキサは分析しました。
つまり、ヘキサはディズニーにのめりこみすぎ、またパークの外に出た時の衝撃をもろに受けてしまったため、大きな心の痛みが発生し、精神がおかしくなったのだと分析できました。
これは行く前にはヘキサが想定していなかった、ヘキサにとっての発見です。
ディズニーにのめりこむことと「夢」
ディズニーにのめりこむこととは一体どういうものなのでしょうか。
これは、簡単に言えば、ディズニーの世界に自分が入り込むことになります。
ディズニーリゾートはよく夢の国だと形容されます。
これはディズニーの世界は現実の世界とは違う自分を表すことができる場所だというように言われるからです。
↓ヘキサが見ていた夢の国は暗く見えていたのかもしれない……
ディズニーは、キャストさんのサービスや施設へのこだわりが強く、ディズニーにやって来るゲストに現実の世界とは違う世界を味わってもらうということに徹底的にこだわっている場所だと言えます。
したがって、この徹底的に教育され、洗練されたサービスによってゲストは現実とは違う、幸せな気分になることができます。
この幸せな気分をこの記事では「夢」と定義します。
ディズニーはある意味で「夢」を販売している場所であり、ヘキサを含めたゲストは対価を支払って、「夢」を購入していると考えることができます。
この「夢」こそがヘキサのいうのめりこみなのです。
なぜなら、のめりこみも「夢」もその場の幸せな雰囲気という点で共通しているからです。
だから、ヘキサは対価を支払った上で、単純に「夢」を多く得たことになります。
ディズニーの中で味わうことのできる「夢」は、当たり前ですが、パークを出るとなくなってしまいます。
しかし、同じ「夢」を持つ人がいれば、まるでクラウドのように同じ「夢」を持つ人同士でそれを思い出し、共有することができます。これは1人でディズニーの「夢」を買ったヘキサにはできない行為です。
また「夢」は現実を考えると少し減ってしまいます。これは、「夢」は現実の中とは違う環境と自分の相互行為の関係の中で発生するものですが、現実は普段の自分の周りの環境と自分の相互行為の関係の中で生まれるものだからです。
また、「夢」も現実も時間がたつと消えてします。絶えず相互行為を繰り返すことで量を増やしているにすぎないのです。
だから、「夢」を作るときは現実は生まれず、現実を作るときは「夢」は生まれないのです。
つまり、夢と現実は自分と関係する相互行為の対象が異なることを示します。
普段の自分の周りの環境の中に属している友人というものとの相互行為は夢ではなく現実のものとなるのです。だから、本来は現実とは違うものと相互行為して「夢」を生み出す時間に現実を生み出すことを行なっているため、結果として「夢」の量が減り、現実の量が増えます。
本来であれば、ディズニーに友達や家族などお連れ様と来た時には、「夢」と現実を交互に作り出し、お互いのバランスを保ちながら「夢」と現実のお互いがちょうどいい量を自分でコントロールして幸せな気分になっているのだと考えました。
「夢」を受け取りすぎたヘキサ
ヘキサはこれより前にディズニーへ行ったのは高校生の頃のディズニーランドになるので、そのとき以来の久々の夢の購入ということになります。
ちなみに、その時は高校の友達数人と行っていますね。その中にテトが含まれています。
その時は友達数人ということもあり、グラフ1の一般的な方のように「夢」と現実のことでバランスを保ちながら満喫していました。
その時はインパと昼食くらいでしかお金を使っておらず、高校生のお財布は御察しの通りの北緯60度ツンドラ気候(ギャグまでも寒い)なので、最低限の購入に留めた覚えがあります。
しかし今回は、昼食も高いものを購入し、夕食は高級レストランに入るなど、様々なことにお金を使い、ディズニーの中に発生する「夢」の追加コンテンツを課金しました。
そして、1人で行ったということもあり、ヘキサの中にどんどんどんどん「夢」がキャパオーバーなほどに蓄積されていきます。
そして、ディズニーを歩きながら自分の中で風船のように泡のように「夢」が膨らんで肥大化していきました。
この時の自分のテンションの上がりよう、そして自分の気分がどんどん大きくなっていくことが楽しくて楽しくて幸せでしょうがない感じになっていました。
今冷静にブログを執筆しながら考えると、相当やばいやつだったのではないかと考えられます。
そして、その「夢」を一気に失いました。
そりゃ泣くわ。当たり前だわ。
自分でも制御できないほどに肥大化してしまった「夢」の塊が一瞬にして無くなり、消えてしまった感覚というのは何にも形容しがたい相当大きなダメージを心に与えました。
「夢」って所詮そんなもんなんだなって。
でも、ヘキサはそれを望んだはずなのです。ディズニーに行くということは、「夢」を購入することであり、「夢」はパークの中のものだなんて分かっていたはすなのに。
分かっていたはずなのに……
つまり、今回のディズニーでは、ヘキサの場合はパーク内で「夢」をたくさん得られました。しかし、「夢」ばかりがどんどんと増加していき、現実が思うように作り出せずに、自分の中でコントロールが効かないまま「夢」の量が増大していきました。そして、外に出た瞬間に自分の中にあった莫大な量の「夢」を全てを失うという、まるでバブル経済の時の地価のような落差が発生したことがわかりました。
おわりに
「夢」というものは非常に幸せになれます。しかも、自分の客観性を失い、どれだけ自分は夢を取り込んでいるのかその場では分からなくなります。
でも、その気持ちのいい雰囲気というもの感じるというのは非常に多くの非日常的な快感を得られるのです。
今回こうやって考えてみることで、「夢」を買うということはどういう行為でどのようなことが起こるのかというのを身をもって体験することができました。
こうして両極端な状態を体験したからこそ、今のヘキサは「夢」を買うことの意味が少し分かるようになり、「夢」を買う人の気持ちが分かるようになりました。
本当ならちょっとだけの「夢」を何回も味わうというのが正しいやり方で、だからこそみんなディズニーなどの「夢」を売っている場所に行ったり、夢を追い求めたりするんだなと思います。
今回はヘキサが強欲すぎたのかな?
強欲の壺??
もちろん、何回も強欲に行けば耐性が付いてきっと感情のコントロールが上手になっていくんだろうとは思います。
ヘキサは単純に入ってくる「夢」の量もコントロールできず、感情のコントロールもうまくいかず、すごく不器用だったからこそ今回のようになってしまったのだと思います。
でもなんか拙い言葉ですがこんな感じでまとめるとちょっとスッキリしたというか、自分を冷静に見つめ直すことができました。
「夢」の量や感情のコントロールを自分で行うことができる人にしか誕生日1人ディズニーはオススメしません。
それらができれば、きっと幸せな1日を過ごすことができると思います。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
(ヘキサ)